【9月19日 AFP】国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ(Thomas Bach)会長は18日、2024年と28年の五輪開催地が同時決定した経緯について、米国関係者からの発案だったことを明らかにした。

 前週ペルーの首都リマ(Lima)で開かれたIOC総会で、2028年大会の開催地に決定した米ロサンゼルス(Los Angeles)への2日間の訪問を終えたバッハ会長は、報道陣に対して、2016年11月にロサンゼルス市から最初に計画が持ちかけられたことを認めた。

 2028年大会の開催地をロサンゼルスに決定するという案を先に示唆したのは、米国オリンピック委員会(USOC)のラリー・プロブスト(Larry Probst)会長だったとして、バッハ会長は「(プロブスト氏が)最初に、開催地を同時に割り当てるアイデアを持ちかけてきた」と話している。

 2016年11月にカタールの首都ドーハ(Doha)で各国オリンピック委員会連合(ANOC)の総会が開かれた際、ロサンゼルスのエリック・ガルセッティ(Eric Garcetti)市長と非公式の場で面会したバッハ会長は、「気温が46度以上で、湿度は120パーセントもあった。海岸通りを歩きながら、(同時決定の)アイデアについて話し合っていた」と当時を振り返った。

 ガルセッティ市長がUSOCの同時決定案について「知らないふりをしていた」とジョークを交えたバッハ会長は、「このとき私は市長とロサンゼルスの意向を知り、IOCが信頼できる人々と交渉していると認識した」と明かした。

 ドーハで総会が行われた2週間後、「世論の反応を探り、どんな波風が立つのか試したかった」というバッハ会長は、スイス・ローザンヌ(Lausanne)で記者会見を開き、招致活動で「あまりにも多くの脱落者」が出ているという自身の見解を示した。すると、当初は否定的な反応が目立ち、「あまり歓迎されていなかった。支持はほとんど得られなかった」としている。

 しかしながら、仏パリ(Paris)とロサンゼルスの一騎打ちとなることが明らかになると、同時決定への機運が高まり、もはや止められないほどの勢いでリマでの結論に達した。13日の総会では五輪史上初めて2大会の開催地同時決定が行われ、2024年のパリ大会と28年のロサンゼルス大会が正式に決まった。(c)AFP