【9月10日 AFP】現代アーティスト、ジャンミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)の死後29年がたつが、彼の遺産は美術館に対するポップカルチャーの勝利に負うところが大きい。

 米ニューヨーク(New York)でハイチ人の父とプエルトリコ人の母との間に生まれたこの黒人アーティストは、この街で人生の大半を過ごし、着想の大半を得た。

 今年5月18日、そんな彼の絵画作品の1枚がニューヨークの競売大手サザビーズ(Sotheby's)で1億1050万ドル(約121億8800万円)の値で落札され、バスキアは作品が高額で取引される画家パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)のような巨匠たちに仲間入りした。

 だが、米国文化の首都であるこの街には、いまだバスキアの公的な記念碑も名前を冠した記念館もなく、有名な「SAMO」のサイン入りグラフィティアートも保存されてはいない。記念碑といえるような場所は、ノーホー(NoHo)の裏通りのアトリエがあった場所に取り付けられている銘板と、グリーンウッド(Green-Wood)墓地にある簡素な墓石くらいだ。

 市内の美術館に限って言えば、バスキアの2000点を超える作品のうち、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵するのは絵画とシルクスクリーンわずか10点。ホイットニー美術館(The Whitney Museum of American Art)は6点、メトロポリタン美術館(Metropolitan Museum of Art)とブルックリン美術館(Brooklyn Museum of Art)はそれぞれ2点、そしてグッゲンハイム美術館(Guggenheim Museum)は1点だ。

 バスキアの作品の大半は、絵の具を用いたペインティングと線画を融合させたもので、抽象画であり具象画でもあるその作品群には、貧困や人種差別、階級格差など社会問題に対する痛烈な政治的メッセージが込められている。

 薬物の過剰摂取により27歳の若さで亡くなるまでにバスキアは商業的に成功した。にもかかわらず、美術館は彼の作品の芸術的価値についての判断を留保し続けた。