【8月15日 AFPBB News】「飛行機から火の粉が落ちてくる。ちょうど花火のようです。雪のように火の粉が空から降ってきて、体にくっつくんです」。小学5年生の時に1945年3月10日の東京大空襲を経験し、母と弟を失った東京都江戸川区在住の岡本すゑ子(Sueko Okamoto)さん(83)は、当時の目線で、現代の子どもたちに情景を語りかける。同区の證大寺(Shodaiji Temple)で10日、4〜12歳の子どもたち34人が岡本さんの戦争体験を聞き、「すゑ子ちゃん」宛てに手紙を書くイベントが開催された。戦火を生き抜いた同年代の少女と手紙を介して対話し、未来を担う子どもたちに戦争について考えてもらう試みだ。

「皆さんと同じ頃があった。最初からおばあちゃんじゃないんです」。岡本さんは、準備していた原稿に頼らず、用意された椅子にも腰掛けることなく話し始めた。そんな岡本さんに応じるかのように、子どもたちは真剣な面持ちで聴き入った。

 集団疎開先で栄養失調になった岡本さんは、浅草の実家に帰され、東京大空襲を経験した。3月10日、父の声で夜中に目覚め、窓の外を見ると、辺り一面が火に包まれていた。一家はリヤカーに家財を積み込み、隅田公園に向かったが、生後10か月の弟を背負った岡本さんは父母とはぐれてしまった。祖母と戦火の中を逃げ、公園近くの言問(こととい)橋にたどり着き、橋を渡った先の家屋で一夜を明かした。

 翌日、言問橋の上に真っ黒な「桜の木」らしきものが横たわっているのを目にする。祖母に「人間だよ」といわれてはっとした。「真っ黒になって転がっていた。苦しいからもがいたままの姿で。お母さんが子どもを抱いた遺体もあった。子どもだけでも助けたいと思ったんでしょう。本当に地獄だった」。後に父と再会し、そのなかに自分の母もいたことを知った。「言問橋の前に行くと、その場面が頭に浮かんでくる。10年くらいは渡れなかった」

「今は裕福だが、いつそういう時代が巡ってくるか分からない。皆さんが戦争に反対し、強く生きてもらわなければ」と岡本さんが話を締めくくると、子どもたちからは拍手が湧いた。

 鈴木絵美梨(Emiri Suzuki)さん(10)は、祖母を亡くした自分の経験を重ね、「自分がすゑ子ちゃんだったら立ち直れない。すごいなと思い、伝えたいことを書いた。戦争でも、誰も殺しちゃいけないと思った」と話した。

「私の弟も、戦後の記憶はあっても、戦争の記憶はない」と岡本さん。戦争体験を記憶する世代が少なくなる中で、「私の小学5年生の時の話を、一人でも覚えていてくれれば」と願う。

 すゑ子ちゃんに宛てた手紙には、子どもたちの率直な思いがつづられていた。右田圭吾(Keigo Migita)さん(11)は「戦争はやらないほうがみんな幸せだなと思いました」と手紙を締めくくった。長瀬里菜(Rina Nagase)さん(5)は手紙いっぱいに大きく「せんそうこわい」と書いた。

「単なる感想文ではなく、自分と同い年くらいの子に手紙を書くことで、感情移入し、自分の中で確かめるという作業ができる」と證大寺の井上城治(Joji Inoue)住職は話す。信徒らから戦争体験を聞く機会も多く、地域の寺として活動できればと企画した。「イデオロギーで色分けやラベルわけをする社会で、子どもたちのほうが、おかしいものをおかしいといえる」

 證大寺は「手紙寺(てがみでら)」として知られ、約10年前から故人に向けて手紙を記す活動を続けてきた。同イベントは、7月中旬から1か月間開かれる子ども向けの「お坊さん修行」体験の一環で開かれた。手紙は17日の同寺の祭りで子どもたちが発表し、その後岡本さんに渡される予定だ。(c)AFPBB News