【8月19日 東方新報】1960年代、内モンゴル自治区(Inner Mongolia Autonomous Region)で3000人に上る孤児の救済に当たった、当時の内モンゴル自治区政府主席で中華人民共和国副主席のウランフ(烏蘭夫、Ulanfu)の功績をたたえる胸像が制作された。同自治区フフホト市(Hohhot)にある「ウランフ記念館」で寄贈式典がこのほど行われ、内モンゴル自治区で養育された孤児たちでつくる団体「南方3000孤児」の代表者たちと、胸像の作者で江蘇省(Jiangsu)宜興市(Yixing)の紫砂彫刻家、尹祥明(Yin Xiangming)氏が駆けつけた。

 中国南方の江蘇省や浙江省(Zhejiang)などでは1959年ごろから、水害やひょう、虫害などの自然災害が多発し、上海(Shanghai)や江蘇省などの数十か所の孤児院は満員になった。さらに深刻な食糧不足であったため、病気や餓死の危険にさらされていた。孤児院の責任者たちは、当時の中国全国婦女連合会の康克清(Kang Keqing)会長に手紙を書き、窮状を伝えた。康会長はすぐに周恩来(Zhou Enlai)首相に状況を報告し、内モンゴルの少数民族地区から粉ミルクなどを分けてもらえないかと訴えた。内モンゴルは牧畜業がさかんで、生乳や粉ミルクの主な産地の一つだったからだ。

 1960年のある土曜日の朝、周恩来首相はウランフ・内モンゴル自治区政府主席に電話をかけ、粉ミルクを調達してもらえないかと、孤児院支援について話した。ウランフはしばらく考えてから、「粉ミルクでは一時的にしか子どもたちを救えません、内モンゴル自治区がその孤児たちを養育しましょう」と提案した。

 ウランフの提案と積極的な協力の下、1960年から3年間も続いた自然災害の際、内モンゴル自治区の草原は3000人以上もの孤児を上海、江蘇省、浙江省などから受け入れた。50年以上経った現在、当時の孤児たちは中国各地で安定した生活を送っている。今年8月に内モンゴル自治区成立70周年の節目を迎えるのを機に、「大地の子」3000人が感謝の意を表そうと、江蘇省の著名な紫砂彫刻家である尹さんにウランフ像の制作を依頼した。ウランフの娘である云曙碧(Yun Shubi)さんとの話し合いを経て、胸像がウランフ記念館に寄贈されることとなった。(c)東方新報/AFPBB News