【8月4日 AFP】「1994年のツチ(Tutsi)人の大虐殺(ジェノサイド)について説明できる人は?」。質問を黒板に書きながら教師は生徒たちに問い掛けた。

 ルワンダの10代の生徒たちが教師に視線を向ける中、発言を促された1人の生徒がこうつぶやいた。「人が大勢、殺されました」

 教師は詳しい説明を生徒からゆっくり引き出しながら、黒板に公式の定義を走り書きした。ルワンダの大虐殺では「無実のツチ人と、当時広まっていた(フツ)過激派の政治に賛同しなかった穏健派のフツ(Hutu)人が周到に組織的にせん滅された」──。

 キガリ(Kigali)にある緑に覆われたこの高校で大虐殺後に生まれた世代が学んでいるのは、なぜ民族対立が大虐殺につながったのかということと、それをどう忘れ去るかだ。そのことが統合と和解を育もうとしている政府の取り組みの重要な柱となっている。

「フツ人、ツチ人、トゥワ(Twa)人……自分のクラスで誰が何人かなんて知らない」と18歳の生徒の1人は穏やかな口調で語った。「私は単にルワンダ人だから」。彼女のクラスメートの多くも同じような心情を語った。彼らは幼い頃から「ルワンダ人らしさ」をたたき込まれている。

 だが一部の研究者らは、こうした生徒たちは歴史の授業で教えられたことをオウムのように繰り返しているだけだと指摘している。

 2014年に著書「From Classrooms to Conflict in Rwanda(ルワンダの教室から紛争へ)」を発表した研究者のエリザベス・キング(Elisabeth King)氏は、「この国にあるのは公式の歴史ただ一つで、そこからの逸脱は許されない」と言う。

「生徒たちは、民族については意識していないと言うよう教えられるが、現実には民族性がいまだ権力獲得を構造化しており、彼らの日々の暮らしを体系化もしている」