【7月31日 AFP】2017年の野球殿堂(Baseball Hall of Fame)入り表彰式典が30日、米ニューヨーク(New York)州クーパーズタウン(Cooperstown)で行われ、候補入りからの最大限度となる10年を待ったティム・レインズ(Tim Raines)氏ら、がまんと忍耐を象徴する面々がスピーチを行った。

 808個の盗塁を記録し、四球と出塁回数でも上位50位以内に入っているレインズ氏は、2009年に15回目の挑戦で殿堂入りを果たしたジム・ライス(Jim Rice)氏以来となる、資格最終年で選出された選手となった。

 レインズ氏は、「私はもう10年、こう聞かれてきました。選ばれない理由は何かと。しかし神のおかげで、これからはもうこの質問に答える必要はありません」と話した。

 今回は、元選手ではレインズ氏の他にジェフ・バグウェル(Jeff Bagwell)氏とイヴァン・ロドリゲス(Ivan Rodriguez)氏、その他にはワールドシリーズを2回制した敏腕ゼネラルマネジャー(GM)のジョン・シュホルツ(John Schuerholz)氏、元MLBコミッショナーのバド・セリグ(Bud Selig)氏が殿堂入りを果たした。

 コネティカット(Connecticut)州生まれのバグウェル氏は、故郷の球団ボストン・レッドソックス(Boston Red Sox)でプレーする夢をかなえようと努力していた頃を振り返り、グラウンドの内外を問わず、決して諦めてはならないという両親の教えにしたがったと話した。

 バグウェル氏は、皿洗いの仕事をしていたことを引き合いに出しながら、「今でも、あんな仕事やめておけば良かったと思うことがあります。ときには野球についても、やめておけばよかったと思うこともあります」と自虐的なコメントを発した。

 それでもバグウェル氏は、憧れのレッドソックスから1990年にトレードで放出された後、移籍先のヒューストン・アストロズ(Houston Astros)で15年にわたってプレーし、通算打率2割9分7厘、449本塁打、202盗塁の成績を残した。

 また、背が低かったことから「パッジ(ずんぐりむっくり)」のあだ名を持つロドリゲス氏は、子どもの頃はひもにぶら下がって背を伸ばそうとしていたことを明かした。

 最終的にロドリゲス氏は、メジャー歴代最高峰の捕手となり、主にテキサス・レンジャーズ(Texas Rangers)で過ごしたプロキャリアで、安打(2844本)、守備機会有りの出場数(2427試合)、ゴールデングラブ獲得回数(13回)などで捕手として歴代1位の成績を残した。

 ロドリゲス氏は感極まった様子で、「さあ、見てください。ひもにぶら下がっていた子供を。みんなからパッジと呼ばれた子供を。それが今、こうしてこの特別な場所、クーパーズタウンという野球人にとっての天国で、ステージに立っているのです」と話した。

 セリグ氏は、ミルウォーキー・ブリュワーズ(Milwaukee Brewers)のオーナーを経験した後、1992年から2014年まで米大リーグ(MLB)のコミッショナーを務め、シーズンを台無しにした1994年のストライキや、筋肉増強剤のまん延などが問題となった時期に米球界を引っ張った。

 この日83歳の誕生日を迎えたセリグ氏は、会場から野次も飛ぶ中で、「1994年のストライキは、私の人生で最も苦い経験でした」と話した。

「私はそこで、ハリー・トルーマン(Harry Truman)元大統領が言った『最後の責任は自分が取る』の意味を実感することになりました。責任を取るのは必ずしも楽しいことではありませんが、それはリーダーの地位に就く人間の責任なのです」 (c)AFP