【7月14日 AFP】大量生産ファッションの製造中心拠点として頭角を現しているミャンマーでは、若きデザイナーたちが国産ファッションを取り入れている。先祖伝来の仕立て技術を保護し、労働搾取型の工場を生まれ変わらせるためだ。

 ピョン・テッ・テッ・チョー(Pyone Thet Thet Kyaw)はヤンゴン(Yangon)中心部のブティックで、自らがデザインしたAラインスカートやドレス、トップスなどを作り上げている。使っている伝統的な柄や生地の多くは少数民族から取り入れたものだ。彼女はミャンマー人女性たちがサロンのようなぴったりしたスカートと共によくまとう襟足の高いタイトなトップスに、プリーツドレスを付けていた。

「私たちミャンマー人は、自分たちの民族衣装や伝統的な服をとても大切にする」と彼女はミシンをかけながらAFPの取材に答えた。「伝統的な服を現代的にアレンジする際は、派手になりすぎないか、あるいはモダンになりすぎないか、気を付けなくてはならない」

 ミャンマーは伝統的な服装をとても誇りにしている。今やどこでも同じ西洋ファッションが東南アジア全域に流入しているが、ミャンマーではかつての軍事政権によってその流入が阻まれていた。軍事政権は50年もの間、外国の影響を遮断し、すべての公式メディアでは着用すべき服を厳しく制限していた。デザイナーのマー・ポン(Ma Pont)は、1990年代に軍の管轄下のテレビ局のために衣装を制作していたが、肩や脇を少しでも見せることは許されなかったという。「私たちは全く自由ではなかった」と彼女は語る。

 当時、ファッションには特に政治的な意味合いが強かった。多くの女性たちが民主化運動を率いた野党のリーダー、アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)の独特のスタイルを真似たデザインを密かに仕立て屋に依頼していた。20年近く続いた軟禁から彼女が解放された日に着ていた紫の服は、すぐにヤンゴンのストリートで流行したと報道された。