【7月10日 AFP】イラクの治安部隊が激戦の末に同国北部の要衝モスル(Mosul)をイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」から奪還したことは、イラク人にとって決定的な瞬間だったが、同時に、戦いを裏で支えた米国の政策が大きな勝利を収めた瞬間でもあった。

 イラクとシリアにおける米国の戦略は、米軍の大部隊を現地に派遣するのではなく、有志連合による空爆と、地元の軍や警察への訓練や助言の提供を組み合わせて継続的に行うというものだった。

 米国防総省の当局者らは、この戦略の成果は疑う余地がないと主張する。3年前、黒い旗を掲げてイラク各地を席巻したISに惨敗したイラク治安部隊は、今や戦闘で鍛えられ、過酷な市街戦にも勝利するまでになった。

「訓練が功を奏している」。2015~16年にイラクに派遣された米軍士官はこう語り、「イラク人が自ら国を取り戻すことができた」のはそのおかげだと強調した。

 2014年にISの襲撃を受けたイラク治安部隊は瓦解。敵に背を向け、米国から提供された武器や軍用車両を放り出して敗走した。戦闘を一切放棄して逃げた部隊もあった。翌15年5月、アシュトン・カーター(Ashton Carter)米国防長官(当時)はイラク軍について、「戦闘の意志を見せなかった」と批判している。

 一方、米国が今回イラクへの部隊派遣を数百人規模にとどめ、米主導の有志連合の軍事顧問が地元部隊を訓練する戦略を選んだ背景には、イラク戦争で米軍が4400人を超える戦死者を出したことがある。

 今月までに、有志連合は約10万6000人のイラク治安部隊を訓練した。内訳はイラク軍兵士4万人、警察官1万5000人、国境警備隊6000人、クルド人治安部隊ペシュメルガ(Peshmerga)2万1000人、イラク軍対テロ部隊(CTS)1万4000人、その他の部族部隊9500人となっている。

 イラク治安部隊の犠牲は大きく、死者は数千人に上る。だが、2014年にイラクやシリアでIS掃討作戦が開始されて以降、米兵の死者は11人にとどまっている。(c)AFP/Thomas WATKINS