【7月9日 AFP】マーシャル諸島(Marshall Islands)で1937年に撮影された白黒写真に世界一周飛行中に消息を絶った伝説的な米国の女性飛行士、アメリア・イアハート(Amelia Earhart)が写っているとの主張について、専門家たちから疑問の声があがっている。

 イアハートとナビゲーターのフレッド・ヌーナン(Fred Noonan)は、世界一周飛行中だった1937年7月2日にパプアニューギニアのラエ(Lae)を飛び立ったのを最後に消息不明となった。

 航空史上、最大の謎の一つとして多くの歴史家たちが2人の行方の解明に情熱を注いできたが、2人が乗った双発機「ロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)」は燃料切れで孤島ハウランド(Howland)島近くの太平洋上に墜落したとの見方が定説となっている。

 ところが、米歴史エンターテインメント専門チャンネル「ヒストリー・チャンネル(History Channel)」のドキュメンタリー番組「アメリア・イアハート:失われた証拠(Amelia Earhart: The Lost Evidence)」(9日放送予定)のなかで、2人の消息をめぐる新たな説が打ち出された。2人は生き延びて、日本軍の捕虜になった可能性があるというのだ。番組は、米国国立公文書館(US National Archives)で見つかった白黒写真をその根拠としており、マーシャル諸島で撮影されたその不鮮明な写真に2人の姿が写っているとしている。

 だが、米国人でマーシャル諸島の首都マジュロ(Majuro)在住の軍事専門家、マシュー・B・ホリー(Matthew B. Holly)氏はAFPに対し、問題の写真は1937年よりもずっと前に撮影されたものだと述べ、「背景のマーシャル諸島の風景を見ると、日本の国旗を掲揚している船は1隻のみ。さらに蒸気エンジンを搭載した鋼船の形状から推測して、写真の撮影時期は1920年代後期か1930年代初期とみられ、1937年前後ではない」と、番組の主張に疑問を呈した。

 ホリー氏は数十年前から、消息を絶った米航空機の位置特定や西太平洋(Pacific Ocean)諸国で戦死した米兵の遺骨捜索や身元確認を行ってきた。

 ホリー氏によれば、マーシャル諸島は当時、日本の委任統治領で、1937年1月までに、マーシャル諸島の商船を含め、外国船の入港は禁止された。だが、写真にはマーシャル諸島の商船が写っているとホリー氏は指摘し、さらに、日本人の船員が一人もみられないとも述べた。

 問題の写真に写っているのがマーシャル諸島ジャボール島(Jabor Island)のジャルート環礁(Jaluit Atoll)の波止場であることには議論の余地はない。第1次世界大戦(World War I)から第2次世界大戦(World War II)の間、日本の統治機関が置かれていた場所だ。

 1920年から1930年初期のジャルートは、ヤシ油の原料となるマーシャル諸島原産のコプラを買い付ける日本の商人らでにぎわった。

 歴史的航空機の発見を目指す国際グループ「TIGHAR」も長年、イアハートとヌーナンの消息を追ってきたが、写真に写っているのがイアハートだとする説に異議を唱える。エグゼクティブ・ディレクター、リチャード・ギレスピー(Richard Gillespie)氏は、写真は証拠としては「ばかばかしい」とAFPに語り、「ジャルートの波止場で普通の人たちをとらえた写真にすぎない。日本人はどこにいるんだ?日本兵もいないじゃないか」と付け加えた。

 マーシャル諸島の住民たちも長年にわたって、イアハートとヌーナンは不時着したが生き延び、日本軍の捕虜になったと主張してきた。さらに2年前には米国の調査隊が、マーシャル諸島のミリ環礁(Mili Atoll)でイアハートの機体の一部を発見したと述べている。

 しかし先述のホリー氏は、問題の写真が1937年に撮影された可能性は低いとの見方を保っており、問題の写真が撮影された日時を示すような一連の写真が存在するかもしれなが、問題の写真自体に1937年と関連付く情報はないとホリー氏は語った。(c)AFP