【6月26日 AFP】相対性理論を唱えた男も、男女関係となると確固たる根拠をもてなかった──物理学者として天才だったアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)が「結婚の方程式」を理解できなかった様子が、競売大手クリスティーズ(Christie’s)のオークションに出品される親友に宛てた手紙から、垣間見ることができる。

 アインシュタインの生涯の友人だったミケーレ・ベッソ(Michele Besso)氏が亡くなった直後、アインシュタインはベッソ氏の遺族に宛てた手紙で「人として彼を最も尊敬していた点は、彼がたいへん平和に長生きしたこと、そして伴侶との関係が長年持ちこたえたことだ──私が哀れにも人生で2度失敗した事業だ」と記している。

 手紙の最後の段落では「今また彼は少しばかり私に先んじて、この奇妙な世界を去っていった」と親友への思いを綴っている。さらに「これは大したことではない。我々のように物理学に信を置く者にとって、過去、現在、未来の間の別離とは、誰もが認める強固な幻想という意義しかもたない」と書いている。日付は1955年3月21日となっており、この数週間後にアインシュタイン自身も亡くなっている。

 ベッソ氏は1890年代、2人がまだスイス・チューリヒ(Zurich)で学生だった頃からのアインシュタインの親友で、アインシュタインが最初の妻ミレバ(Mileva)との結婚に問題を抱えていた間も彼を支えた。アインシュタインは1914年にミレバと別居し、1919年に離婚。その後、いとこのエルザ(Elsa)と結婚する。

 7月6日~13日にかけてオークションに出品される56点の手紙は50年分に及び、学問的な内容から私生活についてまで、さまざまな事柄が記されている。中にはドイツにおけるアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の台頭について言及した手紙もある。

 ナチス・ドイツ(Nazis)が政権を掌握した後、アインシュタインは1933年にドイツの市民権を放棄。1940年に米国の市民権を取得し、米ニュージャージー(New Jersey)州プリンストン(Princeton)で76歳で亡くなっている。(c)AFP