【6月8日 AFP】50年前の6月に起きた第3次中東戦争(Six-Day War)の前夜、イスラエルが周辺のアラブ諸国を威嚇するために核爆発装置の起爆を検討していた可能性を示す研究論文が議論を呼んでいる。

 第3次中東戦争は「6日戦争」とも呼ばれ、1967年の6月5日~10日にわたってイスラエルと、エジプトなど近隣のアラブ諸国の間で戦われた。イスラエルはこの戦争に短期間で勝利し世界に衝撃を与え、領土を大きく拡大した。

 これまでイスラエル自体は核保有について否定も肯定もしたことがないが、国際的には中東地域で唯一の核保有国とみなされている。イスラエル国内では今もこのテーマに触れることはタブーだ。

 だが、第3次中東戦争勃発から50年の節目に当たる5日、核拡散状況などを追跡する米シンクタンク、ウッドロー・ウィルソン国際学術センター(Woodrow Wilson International Center for Scholars)のウェブサイトに、当時イスラエルが警告として核爆発装置を起爆させることを検討していたとする論文が発表された。

 イスラエルの核開発に関する研究を専門とする歴史学者、アブネル・コーエン(Avner Cohen)氏の研究には、かつてイスラエルの兵器研究・開発の陣頭指揮を執り、2013年に亡くなったイツハク・ヤコブ(Yitzhak Yaakov)元准将のインタビューが含まれている。その中でヤコブ元准将は、1967年に単に威嚇目的で「簡易型」の核爆発装置を起爆させる計画を思いついたと述べている。エジプトのアブ・アゲイラ(Abu Ageila)にある戦略的軍事施設から約20キロに位置するシナイ半島(Sinai Peninsula)東部の山頂で装置を起爆させる計画だったという。一方、その時点でイスラエルは核兵器は開発していなかったとヤコブ元准将は強調している。

 この研究についてイスラエル外務省はコメントを控えているが、同国内では議論を呼んでいる。第3次中東戦争に関する著書のあるマイケル・オレン(Michael Oren)首相府外交担当副首相は「信頼できない」主張だとしてこれを否定している。オレン氏は「最近になって機密指定が解除され6日戦争に関する数百、数千単位の文書には、そうした主張を示唆するものは全く含まれていない」と語った。またヤコブ氏が触れているような計画が真剣に検討されていた可能性についても、疑わしいと述べている。

 ただしオレン氏は、ヤコブ氏の証言について「1967年6月の時点でイスラエルには核爆発装置を作成する能力があったことが、出所が明らかな情報源によって初めて明らかにされた」とも述べた。(c)AFP/Delphine Matthieussent