■タリバン戦士の中にも「隠れファン」

 カンヌでの歓迎ぶりは、作品への称賛や、取材目的のジャーナリストたちによる長蛇の列からも見て取れる。「歓迎」というのはここでは控え目な表現かもしれない。

 シャヒーン氏は「カンヌに行くと分かったとき、喜びの涙を流した」と当時の気持ちを明らかにし、「僕の夢は、ここに戻ってきて自分の作品でパルムドール(最高賞)を競うことだ。そのために良い映画を作らないと。カメラは持ってきているけど、電池が切れてしまった」と続けた。

 ハリウッドの基準からすると、そのクオリティーにおいて同氏の映画には大いに改善の余地がある。作品の中には4日足らずで制作されたものもあるという。彼は読み書きができないが、自国ではその勇気とユーモア、そして「小さき者が最後には勝つ」との思いから尊敬の対象となっている。

 音楽と映画を禁止しているタリバンの指導者の中にさえ、少数だが隠れファンがいる。作品中、顔を隠したタリバンの戦士たちが、携帯電話でシャヒーン氏の映画を見ていることを認めている。

 自身の映画では、演技、監督、プロデュースを務め、時には歌も歌う。オケ(伴奏)は自らの携帯電話を使う。高価なメーキャップや特殊効果も必要ない。ニワトリを殺してその血を配役に塗りつけるだけだ。

 自国での映画を取り巻く環境については、「映画制作関係者の95%は自分が指導した」と豪語するシャヒーン氏。映画制作では「アフガニスタンのあらゆる問題を、たとえそれがタブーだとしても扱うべきだ」と語る。過去には、イスラム教を冒涜した疑いで、群衆からリンチを受け殺害された無実の女性をテーマにした映画も作ったという。

『ナッシングウッド』には、クロンルンド監督自身も登場する。軽快だが、深く啓発的なドタバタ劇が展開する同作品では、アフガニスタンの日常生活に垣間見られる、温かく、そして期待を裏切るほどの自然なユーモアに焦点が当てられている。

 クロンルンド監督によると、シャヒーン氏は「信じられないほど勇敢な名誉ある人」だが、その一方では伝統を重んじる側面も併せ持っているという。同監督は、「彼には妻が2人いて、彼女たちのことはわたしもよく知っている。ただ撮影はご法度で声さえも録音させてもらえない」と一例を挙げた。(c)AFP/Fiachra Gibbons and Nicolas Pratviel