【5月23日 AFP】私はシリアの前線取材を終えると、何よりまず姉妹の家に行き、1歳のおいと遊ぶ。あまりに多くの惨状を目撃してくるため、帰って彼と一緒にいると幸福な気分になれる。ただ、ほほ笑み、声を立てて笑い、食べ物にも困らず、十分な愛情を受けて安全に暮らすあの子を見ていると、私が紛争地で撮った子どもたちのイメージがよみがえり、頭から離れなくなることも間々ある。はだしの子どもたち、ほこりまみれで愁いをたたえ、砂嵐から目を守ろうと両手をかざしている──私は心痛にさいなまれる。

 

(c)AFP/Delil Souleiman

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 子は現実を映す鏡だ、それが痛みであろうと、幸せであろうと。彼らは奇をてらうことも、うそや歪曲(わいきょく)もなしに、現状を伝えることができる。彼らは真の意味で、ありのままを映し出す鏡なのだ。

 

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 子どもたちは裏のない、自然な存在でしかあり得ない。だからこそ、どんなテーマで、どんな場所で撮っても、彼らの写真ほど訴える力の強いものは他にないのだと思う。戦争では特にそうだ。何と言っても、子どもたちに戦争の罪はない。彼らを通して、われわれは戦争のあらゆる恐怖を見せることができる。

 

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 私に言わせれば、シリア内戦の惨劇から最大の影響を受けているのは子どもたちだ。彼らの精神を揺るがし、安全な暮らしを破壊しただけではない。子どもたちは、この戦争がどのように大人の生活と不安、苦しみに影響しているかも、まざまざと見せられている。こういった影響は成人後も、そのずっと先々まで残るはずだ。私が子どもを被写体にし続けている理由の一部はそこにある。

 

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 子どもの撮影は、大抵は楽なものだ。だが中には大きなレンズを怖がる子もいる。緊張をほぐすために、私は彼らにカメラを持たせて、家族や友人の写真を撮ってもらう。私が撮る番になると、撮影後必ず彼らに写真を見せる。そうすると彼らは喜び、もっと撮ってと言われることも多い。この点では、妻が協力してくれる。戦争が子どもに与える影響についてリサーチしてくれるのは彼女で、われわれはよく、戦地で会う子どもへの最善の接し方を話し合う。このテーマが頻繁に話題に上る。夫婦の絆を深めてくれることはいろいろあるが、この作業もそのうちの一つになっている。

 

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 子どもとコミュニケーションを取る方が、大人とのコミュニケーションよりももっと大きな幸せを感じる。大人は隠し事をすることもあるが、子どもには全く裏がない。その点が、彼らが持つ魔法の一部だと私は思う。

 

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 私はこれまで無数の悲劇と苦痛を撮影してきたが、レンズを通して見る光景には相変わらず動揺を覚える。子どもたちを撮る際は特にそうで、涙がにじんでくることもある。そういう悲劇と苦痛が当たり前のものになっている場合はなおさらだ。

 

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 ファインダーをのぞいてシャッターを押す直前、その写真がどれほど大きな衝撃をもたらすかに思い至って背筋が寒くなることもある。私自身にはまだ子どもがいないが、あまりに多くの紛争と血に見舞われてきたこの地域で、彼らの運命は一体どうなるのだろうと思案する。そのことを考えると、いつも不安になる。

 

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 シリアで子どもたちが苦しんでいる写真を見ると、大人の写真よりもショックが大きいのではないかと思う。少なくとも、そう感じる人もいるはずだ。この戦争の責任を負う人々や、この戦争から恩恵を得ている人々は、どちらにしても気に掛けないだろうが、人情味のある人なら心を動かされるに違いない。どの家族にも子どもがいて、わが子らとシリアの子らを引き比べてみて、何も感じない人などいないと思う。

 私はジャーナリスト仲間の一人がシリア内戦取材に訪れ、私にこう言ったのを覚えている。「君自身父親になれば、本当に身につまされるだろう。その時になって初めて、わが子が死にゆく姿、あるいは爆発で命を奪われる、難民キャンプで生活する姿を目の当たりにすることがどれほどの心痛をもたらすか、分かり始めるはずだ」

 

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 自分が撮影した写真の中には、忘れられないものがたくさんある。母親のそばで、救援物資の配給を待ちながら泣いていた子。

 

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 難民キャンプ中を、裸で走り回っていた子。熱気と強い日差しで地面が焼け付き、はだしでは1か所にじっとしていられなかったのだ。泣いていた別の子は、母親いわく3日間おなかに何も入っていないという。彼女自身十分に食べておらず、母乳が出なくなってしまったそうだ。他にもたくさんいた。最近撮った、この小さな男の子の写真は、私の心を本当に強く揺さぶった。

 

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 時には、希望を与えてくれる場面を目にすることもある。少し前、アインイッサ(Ain Issa)のキャンプで、ラッカ(Raqa)から到着したばかりのトラックを見た時もそうだった。乗っていた全員の顔がほこりで真っ黒だった。だが子どもたちが車から降りた途端、そのうちの2人がこまで遊び始めたのだ。昔はやったが、インターネットとビデオゲームの普及に伴い、われわれの周りでは見かけなくなったあのおもちゃだ。

 

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 ただそういった楽しい写真は記憶に残りにくい。痛ましい写真の方があまりに多く、忘れられないのはそういう痛ましい写真の方だからだ。喜びと希望のイメージは薄れていく。結婚式をはじめとする慶事の場でさえ、幸せを表現するために銃が撃ち鳴らされる。結婚式であっても、子どもたちは恐怖に身をすくめてしまう。

 シリアがますます混迷を深めていく中、子どもたちの希望は砕かれ、彼らの未来はさまざまな形で破壊されている──教育面でも、社会面でも、心理面でも。シリア内戦は、ここでの生活のあらゆる局面に影響を与えている。私の考えでは、子どもを持つかどうかという選択にも影響していると思う。彼らがどんな未来に直面するか、見当もつかないのだから。(c)AFP/Delil Souleiman

このコラムはシリア・カーミシュリー(Qamishli)を拠点にフリーランスで活躍するデリル・スレイマン(Delil Souleiman)カメラマンが、AFPパリ(Paris)本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者およびキプロス・ニコシア(Nicosia)支局のアミル・マカル(Amir Makar)記者と共同執筆し、2017年5月18日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

 

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