【4月19日 AFP】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」と戦う女性兵士を撮影すると、この世界にも正義があるのだと安心する。この辺りでは「ダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)」として知られるISは、女性や子ども、高齢者を情け容赦なくレイプし、殺している。そしてここに、すべてを捨て、ダーイシュと戦う少女たちがいる。彼女たちの存在のおかげで、善と悪、光と闇の戦いの中にも、いくばくかの正義があるのだと信じられる。

クルド人とアラブ人の合同部隊「シリア民主軍」の女性兵ロジンさん(19)。マシンガンを抱えて立つ彼女の表情には疲れも見える。シリア・ラッカから20キロ離れた村で(2017年2月6日撮影)。(c)AFP/Delil Souleiman

 私は女性兵に焦点を当て、彼女たちを撮影することが好きだ。それは彼女たちの勇気を歴史に残す作業だ。女性が戦っている姿をカメラに収めるのは、とてもやりがいがある。そうした写真からは、彼女たちの美しさと、女性でも男性と同じように戦えることが伝わってくるからだ。女性兵士と男性兵士にはほんのわずかな違いしかない。男性兵士の撮影では、力強さがより際立って写る。だが女性の場合は、より繊細な側面や美を表現できる。それも、私がどちらかといえば女性の方にカメラを向ける理由だろう。より美しく、深みがあり、ISとの戦いの最前線に立つ女性たちを歴史に残す写真となるのだ。

トルコ国境に近いシリア・アルカタニヤのトレーニングキャンプで銃を構える「クルド女性防衛部隊」の兵士(2015年2月13日撮影)。(c)AFP/Delil Souleiman

 女性兵は独自の部隊を編成している。男性の部隊に比べると、清潔で整理整頓が行き届いていると、私には見える。彼女たちの兵舎を訪れると、すぐにそこには女性が住んでいるのだと分かる。たとえ戦場でも、女性が生活する場所は散らかり放題の男性のそれより、ずっときれいで整理されているからだ。

 女性と男性は戦場で一緒に戦うことができる。もちろん、男性兵がたまに女性兵に向かって、女の狙撃手はダーイシュの戦闘員を殺すのが男ほどうまくないとジョーク交じりに言うことがある。そうした発言に女性は大抵いら立ちを覚える。彼女たちは自分の戦闘能力に自信を持っているからだ。

シリア・ラッカから約40キロ離れた村の家の屋上から、双眼鏡で戦場を見る「クルド女性防衛部隊」のシリンさん(25、2016年11月9日撮影)。(c)AFP/Delil Souleiman

■尊厳を取り戻し、報復する

 女性たちが武器を持とうと決断した理由は一つだけではない。私はイラク北部シンジャル(Sinjar)で、同国の少数派ヤジディー(Yazidi)教徒の女性兵らに会った。彼女たちは、ダーイシュに家やきょうだいを奪われた後、戦い始めたと語った。ダーイシュはヤジディー教徒をレイプしたり殺したり、残酷に扱っている。女性兵らは自分たちの尊厳を取り戻し、テロリストに報復するために武器を手に取ったと語った。

 ISが首都と称するシリア北部ラッカ(Raqa)近郊で前線に立つ女性兵たちもいた。彼女らは、ダーイシュに抑圧されレイプされた女性たちに代わって復讐(ふくしゅう)し、それを世界に示すために、どうしても彼らの「首都」で勝利を収めたいと語った。他には、家父長的な社会の慣習を断ち切るために兵士になったと言う女性たちもいた。女性兵たちはそれぞれ、独自の理由で武器を持った。

シリア・ラッカから北へ約50キロの町で破壊された場所に立つ「クルド人民防衛部隊」の兵士(2015年7月10日撮影)。(c)AFP/Delil Souleiman

 私が見たところ、クルド社会では女性兵士に対する反発はほとんどなかった。理由の一つは、クルド人女性は一部のアラブ社会の女性たちよりも大きな役割を担っているからだろう。シリアの一部地域とは異なり、多くの家庭で女性は男性と対等に議論し、何かを強いられることもない。私の知る限りでは、ヒジャブの着用を女の子に強制している家庭はない。女性は大学にも行く。女の子は男の子よりも甘やかされる傾向がある。だから、女性が戦うことに反対する人はあまり知らない。クルド社会は概して、彼女たちを尊重し、眉をひそめるようなことはしない。

(c)AFP/Delil Souleiman

 私は自分の娘に戦場で戦ってほしいかなんて考えたこともなかった。もし私に娘がいたら、そんなこと絶対に願わないだろう。娘にダーイシュのような集団と戦ってほしいと思う父親がどこにいるだろうか。だがもし自分の娘がそれを選んだとしたら、私は反対しないだろう。それは彼女の決断だからだ。父親とは、常に子どもにできる限りのことをしてやりたいと思うもの。私だって、彼女にはできれば何か芸術の分野に進んでほしと思う。だがそれでも、私は彼女の選択を尊重するだろう。

トルコ国境に近いシリア・アルカタニヤで実施された訓練に参加した女性兵(2015年12月1日撮影)。(c)AFP/Delil Souleiman

 私の家族や友人の中に、戦闘で戦っている女性はいない。自分に一番近い女性兵は、シリア北東部アルホル(Al-Hol)の前線で会った女性で、彼女は私の家族を知っていた。私は彼女の写真を何枚か撮った。彼女はよく笑った。彼女を見たのは、それが最初で最後だった。

 その後、彼女はシリア北部マンビジ(Manbij)でダーイシュの狙撃手に射殺されたと聞いた。心が折れる知らせだった。撮影した写真は私の世界であり、その世界の英雄たちが次々と死んでいく現実は、とてもつらい。私は今でも、自分が撮った彼女の写真を覚えている。隅々までも。

よく笑っていた女性兵。(c)AFP/Delil Souleiman

 この戦争が終わったとき、困難に直面しない人はいないだろう。とりわけ戦場で戦った女性たちがきついのではないかと、私は思っている。多くの命が失われ、多くの苦痛を見た戦争を仲間と一緒に戦った記憶は痛まし過ぎるのだ。

 女性兵士たちが以前の生活に戻れるかどうかも分からない。戦いをやめた何人かに会ったことがあるが、彼女たちは「普通」の生活に戻った後、家に長くとどまっていることができなかった。部隊での生活や、社会や伝統から解放されて得た自由を懐かしんでいた。前線ではもっと自由で、自分の運命を支配できたというのだ。武器を置いて以降、結婚を拒んでいるという元女性兵も何人かいた。彼女たちは言う──自分の命運は自分で握っていたい。(c)AFP/Delil Souleiman

このコラムはシリア・カミシリ(Qamishli)を拠点にフリーランスで活躍するデリル・スレイマン(Delil Souleiman)カメラマンが、AFPパリ(Paris)本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者およびキプロス・ニコシア(Nicosia)支局のアミル・マカル(Amir Makar)記者と共同執筆し、2017年3月30日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

シリア北東部ハサカ県で撮影に応じる「クルド人民防衛部隊」の女性兵(2015年7月26日撮影)。(c)AFP/DELIL SOULEIMAN

シリア東部デリゾール北郊の村で、ヘッドスカーフを直すクルド人とアラブ人の合同部隊「シリア民主軍」のクルド人女性兵(2017年2月21日撮影)。(c)AFP/DELIL SOULEIMAN

シリア・ラッカの北50キロの町で、武器を構えて撮影に応じる「クルド人民防衛部隊」の女性兵(2015年7月26日撮影)。(c)AFP/DELIL SOULEIMAN