【4月13日 AFPBB News】ビルの3階に相当する高さ10メートルの位置から床まで、直径わずか3センチの麻綱13メートルがぴんと張られる。傾斜角は30度と急だ。約2000人の観客が一点を見つめる先には、和傘を手に、真っ赤な衣装に身を包んだ男性一人。足の親指と人さし指でその綱を挟むと、和傘を利用してバランスを取りながら、一歩一歩高みへと登っていく。張り詰めた空気の中、一番上まで到達したかと思うと、後ろ向きに立ったり、前向きに屈んだり、あおむけになったりと、様々なポーズをとりながら、縄を一気に滑り降りる。会場からは、思わず驚きの声と拍手が湧き上がる。

 木下サーカス(Kinoshita Circus)の団員、笹田羊平(Yohei Sasada)さん(28)が演じるのは、古典芸「坂綱」。通常の綱渡りとは異なり、「斜め」に張った縄を登り、一気に滑り降りるのが特徴だ。全体重の負荷が足先にかかる上、滑り降りる際の摩擦によるやけどは日常茶飯事。バランスを崩すと肌の露出部分に大やけどを負う危険を伴う、過酷な芸だ。実際、笹田さんは坂綱の練習を始めた初日に、体重をかけすぎて右の親指を骨折。その後も、両足指の骨折や亀裂骨折を繰り返しているという。

 

木下サーカスの横浜公演で、日本古典芸「坂綱」の演目に挑む笹田羊平さん(2017年3月17日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■他の人と「違う」からこそ

 笹田さんは、5歳の頃から憧れていたサーカス団に、高校卒業直後に入団。もともと、まわりと同じことをすることが嫌いだった。「サーカスって誰もやらないでしょう」と笹田さん。中学校の授業で、「将来就きたい職業」を調べたとき、木下サーカスに電話。担当者からアドバイスをもらい、はやる気持ちを抑え、器械体操に取り組むことができる高校に入学した。

 晴れて入団し、最初はオートバイのショーのみに出演したが、笹田さんの師匠、服部健太(Kenta Hattori)さん(37)が一人で演じていた坂綱に魅せられ、22歳のとき指導を受けたいと頼み込む。サーカスの花形である空中ブランコやアクロバットを志願する人も多いが、「自分の中で、『これだ』というものを見つけて、打ち込む人のほうがかっこいい」ときっぱり。

 

木下サーカスの横浜公演で、オートバイショーの出演を前に、舞台裏で控える笹田羊平さん(2017年3月17日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

 

■途絶えた古典芸「坂綱」に挑む

 坂綱は、木下サーカスの設立当初から続く古典芸。1904年に、岡山で行われた第1回興行で、坂綱が披露された記録が残っているという。1980年には、奈良市・東大寺大仏殿の昭和大修理に際する落慶法要で、坂綱が奉納された。

 その後、継承者が途絶え、10年以上も上演から坂綱が外れていたこともあった。「迫力や見栄えがあり、お客さんも沸く芸だが、体への負担が大きいため、やる人がおらず、途絶えてしまった」と服部さん。

 2002年の木下サーカスの創立100周年にあわせ、古典芸を復活させることがきまり、服部さんらが実際に見たことすらなかった坂綱を再現。当時を知る人の記憶を頼りに、芸の修得だけでなく、麻綱の張り方や命綱のつるし方など設備まで試行錯誤を重ね、約2年半をかけてお披露目された。「自分の中でも苦労して身に付けたものだから、中途半端な形で引き継いでほしくはなかった」

 

木下サーカスの横浜公演で、日本古典芸「坂綱」の出演を前に、舞台裏で控える笹田羊平さん(2017年3月17日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

 

 しかし、笹田さんが真剣に取り組む姿勢に打たれ、「伝統芸をしっかりと受け止め、技だけでなく精神も引き継いでもらおう」と指導した。実際、サーカスの「芸」は、演じ手にとっての生命線だ。笹田さんは「坂綱を辞めるときは、サーカスを辞めるときだ」と覚悟を決め、「ただの芸ではなく、先生の財産を分けてもらっているような気持ち」で、約1年半の稽古に臨んだ。

「目標とする先輩がいて、近づきたいと思う。その同じ思いを後輩も受け継ぐ。かっこいい舞台を踏みたい、かっこいい演技をしたいという思いを伝承していく」と服部さん。

 

木下サーカスの横浜公演で、日本古典芸「坂綱」の演目で「寝滑り」を披露する笹田羊平さん(2017年3月17日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

 

■「つらい」以上に「楽しい」と「やりたい」

 笹田さんは、自分の出演時間外も、分刻みで会場内を駆け回る。出番が終わった途端、華々しい衣装を脱いだかと思うと、すばやく黒いジャージに着替え、仲間の芸を手助けするため、舞台裏に走る。ステージの休憩時間には、売店で接客や販売を手伝う。売店での仕事は、その忙しさをみて「自分が手伝うことで、他の人が楽になれば」と自発的に始めたものだという。

 練習ができるのは、そうした日頃の業務や、1日に2回、土日には3回の公演を立て続けに終えた後だ。練習にも全力で取り組み、帰宅後は、食べて寝るだけが精いっぱい。「毎日がその繰り返しで、つらかった」と笹田さん。

 それでも、坂綱もサーカスも続けてこれたのは「つらい以上に、『楽しい』と『やりたい』という気持ちが強かった」からだと話す。「坂綱をやっているときは、2000人が僕しか見ていない。かっこいいじゃないですか」と笑顔を見せる。

 

木下サーカスの横浜公演で、日本古典芸「坂綱」の演目で、高さ10メートルまで登る笹田羊平さん(2017年3月17日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

 

■高所恐怖症でも綱を渡れるのは「仲間」がいるから

 木下サーカス団は、年に4度公演場所を移動するため、団員はテント裏のコンテナで共同生活をしている。つらい時に支えてくれるのは、同じ目標や生活を共有する仲間だ。笹田さんが初めて坂綱を披露した2012年の松山公演では、調子が振るわず、1回の舞台で何度も綱から落下することがあった。皆が励ましてくれるなか、「お前がそんな調子でやっていたら、みんなの気が入らないから、しっかりしろ」と怒った先輩がいた。そこで、笹田さんは初めて「自分の芸が、周りの仲間に影響する」ことに気付かされたのだという。

「実は僕、高いところ怖いんですよ。高所恐怖症」と笹田さん。それでも坂綱に挑むことができるのは、たとえ落ちても必ず助けてくれる「仲間」がいるからだ。「それくらい信頼している人たち。ちょっとけがするくらいで終わるかなって」と笑う。

 坂綱の演じ手は、現在3人。古典芸ではあるが、伝統を守るだけでなく、滑り方や技に工夫を取り入れるなど、「どんどん新しいことをやろうと頑張っている」。「坂綱が次に途絶えることはないと思う」と話す笹田さんは、伝統に続く先を見据えている。(c)AFPBB News/Hiromi Tanoue
 

木下サーカスの横浜公演で、日本古典芸「坂綱」の演目を終え、挨拶をする笹田羊平さん(2017年3月17日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi