■「全部出し切った」

 今シーズンも膝のけがに苦しめられてきた浅田は「何もやり残したことはない」と明かした。「ヘルメットや肘当てなどをつけてスケートをしていた時の写真が今も残っている。スケートは5歳から26歳まで続けてこれたので、長い間よく続けてきたと思う」

 15歳で出場したグランプリ(GP)ファイナルで一躍名を上げた浅田の引退は、それまで国内で取り上げられていた朝鮮半島情勢に関するトップニュースをも目立たなくした。

 キャリアを通して後塵(こうじん)を拝すこともあった韓国の金妍児(Yu-Na Kim、キム・ヨナ)氏について浅田は、共に「スケート界を盛り上げてきた」と話し、切磋琢磨しあったライバル関係を認めた。

 2010年のバンクーバー冬季五輪で金氏に次ぐ銀メダリストになった浅田だが、最も人々の記憶に残っているのは、ショートプログラム(SP)で大きく後れを取った後、劇的な演技を披露した2014年ソチ冬季五輪のフリースケーティング(FS)だろう。

 最終的に浅田はメダルを逃すことになったが、完璧な演技終了後に肩を揺らして涙を流したその姿は、日本国民や世界中のファンの胸に深く焼き付いた。

 グランプリシリーズでは、エフゲニー・プルシェンコ(Evgeni Plushenko、ロシア)氏とイリーナ・スルツカヤ(Irina Slutskaya、ロシア)氏に次いで歴代3位となる15回の優勝経験を誇る浅田は、ソチ五輪は「最高の形」で終わることができたとしたうえで、「ショートが終わってからは日本に帰れないと思った。でもリンクの扉を開けてからは、やるしかないなという思いになった」と語った。(c)AFP/Alastair HIMMER