【4月7日 AFPBB News】目を閉じたまま、これから私が話す物語に耳を傾けて下さい。これはあなた自身の物語です──。倶生山なごみ庵(Gushosan Nagomian)の浦上哲也(Tetsuya Urakami)住職の穏やかな語り口に導かれ、参加者は「死の体験旅行」へと出発する。

 東京都豊島区の金剛院・蓮華堂(Kongohin Rengedo)で月に1度、自分の死を仮想体験するワークショップ「死の体験旅行」が開かれている。2013年から全国各地で開かれ、これまでに2000人以上が参加したという人気ぶり。3月下旬に開かれたワークショップには、平日夜にもかかわらず、定員を超えた24人が参加し、なかには福岡県からの参加者も。インターネット上で告知していることもあり、参加者は20〜40代が中心だという。

「年度末も近づき、あなたは仕事に家事に趣味にと、充実した日々を送っています。ただ忙しさのせいか、食欲がわかず、時折胃のあたりに不快感を覚えることがありましたが、あまり気にはしていませんでした」

 体験するのは、ちょっとした体調不良から、だんだん死へと近づく物語。まず最初に、4色の紙に、自分の大切なモノや人を書き留めていく。浦上住職が語る病状の進行にあわせて、その大切な存在をひとつずつ手放していかなければならない。

 照明を落とした会場には、時折すすり泣く声が響く。最後の1枚を手放したところで、浦上住職が「今あなたは命を終えました」と語りかけ、「死の体験旅行」は終着点にたどり着く。しんと静まり返るなか、浦上住職の促しにあわせて、参加者はゆっくりと息を吸い込み、死への旅から「現世」へと帰ってくる。その後、参加者同士で体験を共有する。全員で円を囲むように座り、浦上住職の柔和な助言を挟みながら、皆が最後の1枚を打ち明けていく。

 参加した都内在住の齋藤有華(Yuka Saito)さん(31)が最後に残したのは、普段は価値観が合わないと感じていた「母」。体験前には、将来の夢や目標、仕事が残ると想像していたが、「いざ死ぬという体験をしたときに、そんなに大切ではなかった」と気付いたという。

 亡くなった義母の気持ちを知りたいと参加した都内在住の伊藤照男(Teruo Ito)さん(41)も、自分にとって大切なものに対峙(たいじ)した。「体調も目も悪くなり、手を握る触感だけと考えると、嫁さんだった」と振り返る。「住職がワークショップ通じてうまく促してくれ、自分の想像を超えた気付きがあった」

 もともとこのワークショップは、医療従事者が重症患者の気持ちを酌み取るためにホスピスで始まったものだという。僧侶として葬儀や法事など普段から「死」と接し、遺族や亡くなっていく人の気持ちを感じ取りたいと考えていた浦上住職は、ふと手にした本からワークショップについての記述を見つけ、自ら講師を探し、受講。そのときの経験をもとに、自らが進行役となって主催することを決めた。「日本だと、どうしてもお寺やお坊さんは死のイメージが強い。その立場の者が、あえてこのワークショップを行う。変な言い方かも知れないが、死の専門家のように思われているので、そこに説得力は生まれてくるかと」

 人生の最後に向けて準備する「終活」への関心が高まるなか、「死の体験旅行」もその一連の流れにあるようだ。「10年前くらいまでは、死について語ったり考えたりすることはタブー視されていたが、7〜8年くらい前から、終活がはやり、専門の雑誌も出ている」と近年の変化を口にする。

 その背景には「自己決定権」の高まりや「少子化」があるのではないかと、浦上住職は考えている。「何でも決めたいという自己決定権が、今は自分の死や死後にも及んでいる。自分らしい葬儀やお墓など、自分で決める範囲が増えた。一方で、少子化が進み、子どもがいない人や結婚していない人が少数派ではなくなってきた。そうなると、自分で決めなければいけない状況がある」

 しかし、どのような形にせよ、「自分の死を考えてみることは健全」だと浦上住職。「飛行機に例えると、離陸と巡航は得意でも、着陸ができない飛行機は、飛行機として欠陥がある。人生も、離陸や巡航については、皆さん色々考えて生きているが、降下や着地にあたる部分はあまり考えない。そこもきちんと考えていかなければいけない」(c)AFPBB News/Hiromi Tanoue