【3月11日 AFP】フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)と世界ロードレース選手権(WGP)の両方でタイトルを獲得した唯一の名ドライバーとして知られるジョン・サーティース(John Surtees、英国)氏が10日、83歳で死去した。同氏の家族が明らかにした。

 WGPの500ccクラス(現MotoGPクラス)で通算4度の世界王者に君臨したのち、1964年のF1でも年間タイトルを獲得したサーティース氏は、妻と娘二人に見守られながら、安らかに息を引き取った。

 サーティースの家族は声明を発表し、「夫であり、父でもあるジョン・サーティースCBE(大英勲章第三位〈CBECommander of the Most Excellent Order of the British Empire〉)の死去を発表することは、とても大きな悲しみです」と述べた。

「ジョンは今年2月、持病の呼吸器疾患のため英ロンドン(London)のセント・ジョージ病院(St Georges Hospital)に入院し、短期間の集中治療を受けていましたが、本日の午後、静かに息を引き取りました。彼のそばには妻のジェーン(Jane)をはじめ、娘のレオノーラ(Leonora)とエドウィナ(Edwina)が付き添っていました」

 二輪でモータースポーツ界でのキャリアを開始したサーティース氏は、英国のノートン(Norton Motorcycles)やイタリアのMVアグスタ(MV Agusta)で1956年、1958年、1959年、そして1960年に500ccクラスの世界タイトルを獲得したほか、危険なレースとして名高いマン島TTレース(Isle of Man TT)のシニアTT(Senior Tourist Trophy)でも史上初の三連覇を果たすなど、華々しい活躍をみせた。

 その後、「四輪」に転向したサーティース氏は、「二輪」で最後の世界タイトルを獲得したわずか4年後に、イタリアの名門フェラーリ(Ferrari)でF1選手権を制し、モータースポーツ界で唯一の快挙を達成。F1ではクーパー・レーシング・チーム(Cooper Racing Team)やホンダ(Honda)、そして自らの名前を冠したサーティース(Surtees)などでマシンを駆った。

 サーティース氏は2009年に、F2選手権(FIA Formula 2 Championship)に参戦していた当時18歳の息子が、英南東部ケント(Kent)州のブランズ・ハッチ(Brands Hatch)で行われたレースで、別のマシンから外れたタイヤが頭部を直撃して死亡するという家族の悲劇に見舞われた。

 2016年にはCBEを授与されたサーティース氏だったが、その功績からすれば、もっと高い爵位がふさわしいとの声が多く上がっていた。(c)AFP/Julian GUYER