【3月6日 AFP】2月最終週の週末、南スーダンの飢饉(ききん)の中心地では、緊急の食糧支援を求めて、大勢の人々が避難している湿地の中から姿を現した。

 以前は油田の警備員として働いていたというボル・モルさん(45)は、過去数か月にわたり、家族を死なせないようにと必死で努力してきた。彼は近くの川や沼で魚を突き、そして3人の妻は食べるために水生植物を集めているのだという。

 運が良ければ1日に1回、食事を取ることができる。少なくとも湿地の中にいれば、兵士たちに略奪される危険からは逃れられる。

 レール(Leer)郡トニョール(Thonyor)村の灼熱の太陽の下で数千人の人々と一緒に食糧支援を待っていたモルさんは、つえを片手に持ちながら「ここの暮らしは無意味だ」と話した。

 この村での救援活動を前に、関係機関は住民が登録できるセンターの設置を求めて、政府、そして反政府勢力との交渉を進めた。

 国連(UN)はこの1週間前、南スーダンの一部地域における飢饉を宣言した。だが推定10万人に影響を及ぼしているこの飢饉は、悪天候や自然災害が原因ではない。3年以上続く紛争が原因でもたらされたものだ。

 3年以上続く紛争は、農業を妨げ、食料品店を破壊し、そして人々を家から追いやった。食糧など物資の輸送は故意の妨害に遭い、関係者も標的にされた。

 この紛争が壊滅的な被害をもたらしていることは、学校や病院の焼け焦げた壁や破壊された家屋や公共の建物、かつて盛況だった市場の荒廃ぶりなどを見れば一目瞭然だ。

 和平協定は2015年8月に署名されたが、完全に履行されたとは言い難い。昨年12月には再び政府軍の進軍があり、さらに5万6000世帯が家を追われて湿地に避難した。

 紛争によって農業や畜産業を営むことが難しくなるなか、人々は野生植物を取って食べたり、狩りに出たりしながら、緊急の食糧支援を待つしかない状況にまで追い込まれてしまった。食糧支援の頻度は極めて少なく、十分な食べ物を得られるとは到底言えない状況だ。

 この紛争と戦火からの逃亡は人々の生活を一変させた。モルさんの子どもたちは過去3年間学校には行っていない。「現在、大半の人がこの湿地のなかで暮らしている。ここの子どもたちを見れば、涙が出るだろう。ひど過ぎる状況だ」とモルさんは話した。

 北部ユニティー州(Unity State)の飢饉の中心地の外でも、主に戦闘が最も激しい地域で500万人近くが食糧の支援を必要としている。「最大の問題は治安が悪いために、こうした地域へのアクセスが極めて困難になっていることだ」と、世界食糧計画(WFP)のジョージ・フォミニェン(George Fominyen)氏は指摘している。(c)AFP/Waakhe Simon WUDU