【2月1日 AFPBB News】「独楽(こま) は何秒、何十秒の世界。でもその中にドラマがある」。約300年の歴史を持つ「江戸独楽」の魅力を語る職人・広井政昭(Masaaki Hiroi)さん(81)の目は、少年のように輝いている。神奈川県海老名市の自宅内の工房で、リズムよく回る足踏み式の木工ろくろに向かい、手製のかんな棒で自由自在に角材から独楽を削り出す様はまるで魔法のようだ。

 作業場は、机や床一面がかんなくずに覆われ、いたるところに工具が散らばり、大小様々の木材が天井まで積み重なる。「狭い、汚い、最悪。じいさん一人でぽっつりと仕事をしている」と広井さんは笑う。近所を散歩すると、かんなくずや塗料が付いた服を指摘されることもあるという。「世間から見たら、変かもしれない。いつも汚い格好をしているから」

松屋銀座の催し「日本のかたち」で制作した江戸独楽を展示、販売する広井政昭さん(2016年12月28日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■ぶれることのない、独楽への思い

 広井さんが独楽を作り始めたのは、9歳のとき。第二次世界大戦中に多くの子供が東京を疎開で離れたなか、独楽職人だった父のもとに残った広井さんは、退屈しのぎにろくろに手を伸ばした。軸を指でひねって回すシンプルな「ひねりごま」を作っては、闇市に売りに行ったという。「戦中から戦後にかけての混乱期は、おもちゃがほとんどなくなってしまったから、子供でも独楽を作ると結構売れた。それがやみつきになってしまって」

 もともと広井家は先祖代々徳川家の御殿医だったが、曽祖父が趣味で始めた独楽作りが本業になり、広井さんは兄に次ぐ4代目。まっすぐぶれることなく回転する独楽のように、仕事をやめようと思ったことは一度もない。「不器用なせいもあるが、一つの商売はやはり生涯全うしなければ。ぶれないの」

 戦後は独楽作りで家計を支えるために必死だったが、30代では日本や世界各国の独楽の歴史や伝統に関心を持ち、米国、ヨーロッパ、中南米、オセアニアなど各国を飛び回り文化交流を行った。そこで「『面白い』ことや『楽しい』ことは、世界中で共通している」と感じたという。

松屋銀座の催し「日本のかたち」で制作した江戸独楽を展示、販売する広井政昭さん(2016年12月28日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■笑いとユーモアたっぷりの「からくり独楽」

 好奇心に満ちた81歳の職人が制作する独楽は、どれもユーモアと遊びにあふれたものばかり。その種類は、約8000に及ぶ。「たぶん世界で一番多い」と広井さん。作品は海外でも高く評価され、フランスのパリ装飾芸術美術館(Arts Decoratifs Museum)やフィンランドのサンタクロース村(Santa Claus Village)などでも展示されたことがある。

 なかでも、独楽の回転を利用したユニークな仕掛けを施した「からくり独楽」は、見る者に広井さんの豊かな想像力と熟練の技を感じさせる。大きな桃から現れる桃太郎やバナナをたたき売りする商人、飛び跳ねる魚に思わず舌を伸ばす殿様など、江戸のしゃれっ気たっぷりのからくりに、大人も子供も夢中だ。「独楽の回る時間は極めて短いが、その短い時間の中で何を表現するか。なるべくなら、回した人に笑ってほしい」と目を細める。

 これらの精巧な独楽には、驚くべきことにデザイン画も設計図もない。広井さんの頭に湧き出たアイデアが、手の赴くまま、あっという間に形になる。削りながら考えることすらあるのだという。「70年も作っていたら、体そのものが独楽みたいなもの。若いアーティストみたいな考えはない。あまりデザインを優先したくもないし、あえていえば、グルグル回るのがデザイン。回ればいいんです、一秒でも長く」

東京都江東区の深川東京モダン館で、展示された広井政昭さんの江戸独楽(2017年1月6日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi


■ 指先の力で回る「独楽の一生」

 現代のテレビゲームやスマホも「面白そうだよね」と笑う広井さんだが、「昔も楽しい遊びはあった。私の独楽に関して言えば、乾電池などは一切使ってはいけないと決めている。あくまで自分の力で回してほしい」と話す。

 そこには、独楽の回り方に「ドラマ」を見いだす広井さんならではの視点がある。「同じ力で回しても、人間の一生と同じでそれぞれ『寿命』が違う。すぐにぱたんと倒れるものもあれば、倒れそうで、なかなか倒れないのもいる。独楽もやはり個性がある」

■独楽の歴史の「重み」を感じて

「江戸独楽」のなかでも芸人が曲芸に用いる「曲独楽」は、曲芸に耐えうる「バランス」が命。広井さんは約1日かけてからくり独楽を制作するが、曲独楽は最低でも10日かかるという。成形したあとの独楽に、鉛や真鍮(しんちゅう)を打ち込み、完璧なバランスになるまで調整を重ねるなど、制作には高度な技術と時間が求められる。

 1970年代頃、曲独楽を作る職人が減り、伝統が途絶えかけたことがあったという。しかし、独楽の歴史の重みと職人としての責務に突き動かされ、それまで手掛けたことのなかった曲独楽を約3年間かけて研究し、独学で完成させた。

東京都江東区の深川東京モダン館で開かれた「広井政昭 江戸独楽展」で、曲芸を披露する曲独楽師の三増紋之助さん(2017年1月6日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

「広井先生の曲独楽はビシッと心棒が通っていて、とても素直に回転する。本人はとても頑固なんですけど」と笑うのは31年来の知り合いの曲独楽師・三増紋之助(Monnosuke Mimasu)さん(54)だ。三増さんが曲独楽師を目指したとき、初めてもらい受けたのが、広井さんの独楽だった。

 三増さんはこう続ける。「独楽を回すというのは、観客と職人の間をつなぐ仕事でもある。もともとの美しい独楽を、美しく回すことで、みなさんに独楽の不思議さを伝えられる」

■「遊ぶ」ことは「呼吸」すること

 一方で、広井さんは、曲独楽などの伝統芸能を見る人の数が減り、日本の「遊び」の文化は「瀕死(ひんし)の状態」にあると警鐘を鳴らす。「昔の日本には、遊びに全財産を費やすような『粋』な人がいた。でも今は働くことが『善』、遊ぶことが『悪』だと認識する時代になり、遊びに関心を失った大人が多くなった」

 広井さんが考える「遊び」は、「呼吸」と同じように人間が生きるために欠かせないものだ。「遊びが『吸う』だとすれば、働くは『吐く』。どちらかを止めると人間は死んでしまう。それくらい遊びは大事なもの。今の日本は働くことだけしていて、過呼吸なのかもしれない。いつか本来の人間ではなくなってしまう時代がくる」

東京都江東区の深川東京モダン館で、展示された広井政昭さんの江戸独楽を回す子どもたち(2017年1月6日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi

 広井さんの願いは、日本の古くからの文化が、たとえ細々とであっても、息づいていくことだ。「死ぬまでにどの程度できるか時間の問題もあるが、次世代に残すために、関心のある人に独楽を作ってもらいたい」。実際、広井さんはこれまで全国各地で指導を行い、何十人もの弟子を育成してきた。「幼稚園や小学校などで独楽を回してもらって、それを見た子供が、将来独楽を作るかもしれない。そんな夢がある」

 広井さんはまだまだ現役だ。「創作と継承の二本立て。古いものは古いものとして大事にして、現代の人に合うものも作らなければ」と制作に意欲を見せる。「気に入った独楽は今まで一つもない。明日こそはもっといいものができるんじゃないかと思って、この歳になった」と笑う広井さんの独楽は、この先もまだぐるぐると回り続ける。(c)AFPBB News/Hiromi Tanoue 

神奈川県海老名市の自宅の作業場で江戸独楽を作る広井政昭さん(2016年12月2日撮影)。(c)AFPBB News/Yoko Akiyoshi