【1月27日 AFP】今リビアから報道するということは、控えめに言っても難題だ。敵対し合う2つの政府が国内の異なる場所に樹立されている。何十もある武装組織が、それぞれの縄張りで幅を利かせている。

 これらのいずれかが世界に何かを発信しようとするときには、ソーシャルメディア、主にフェイスブック(Facebook)を活用する。だがこれらの発表が、実際に起こっていることを本当に反映していると確信することは決してできない。そのせいで混乱が生じることもある。特にここでは国民の大半がフェイスブックからニュースを得ているのだからなおさらだ。

 私が毎日最初にしなければならないことの一つは、こちらとあちらの政府、さらにこちらとあちらの民兵組織のそれぞれについて、その日の担当者を特定することだ。連絡先はころころ変わる。幹部や広報担当者もしかりだ。

 おまけに国家は二分されている。国際社会が後ろ盾となっている政府は西部に位置する首都トリポリ(Tripoli)にあり、一方、元リビア軍将官ハリファ・ハフタル(Khalifa Haftar)氏と近隣諸国の支持を受ける政府は東部を拠点としている。両政府がそれぞれ独自の通信機関を抱えているが、名称はどちらも「国営リビア通信(LANA)」だ。両方のLANAがそれぞれの政府の声明文を発表し、さらに相手側の信頼性をおとしめようとする。

 よって私の仕事には困難が付きまとう。例えば、東部の政府がトリポリで起きた衝突の死者数を公表したとする。トリポリの政府からはまだ衝突に関する発表さえない。その場合、私は東部政府の発表をうのみにして良いのだろうか? 

 真の状況を見極めるため、複数の情報筋(5~6つあるのが理想)を確保するようにしている。そうして初めて、情報を外に出すことができる。

シルトでの衝突(2016年11月撮影)。(c)AFP/Mahmud Turkia

 私が仕事をするのは大抵夜だ。リビア人は就寝するのも起きるのも非常に遅い。だから情報の大半は夜入ってくる。だから事件が起こって現場に向かおうとすると厄介なことになる。全土に無数の検問所があり、犯罪率は異常に高く、誰の慈悲を乞わざるを得なくなるか知る由もない。

 リビア人にとって、ニュースの主な入手源はソーシャルメディアだ。ここでは誰もが携帯電話を持っている。だがインターネットにアクセスできるからといって、十分に情報を得ていることを意味するわけではない。当局者らは、あるメディアに対して発した声明を、その直後に別のメディアに否定してみせることもままある。

■真実とうそ、そのはざまにある何もかも

 真実とうそ、そしてそのはざまにあるありとあらゆる情報──とにかく全てがフェイスブックに投稿される。ネットへのアクセスが遮断されれば、この国の状況はましになるのではという気さえすることもある。そうすれば人々はうわさにもアクセスしなくなる。そもそも出回っている情報の約9割がうわさ話なのだ。

 1人の民兵が「製油所でトラブル」とフェイスブックに書き込んだだけで、複数のガソリンスタンド前に長蛇の列ができてしまう。

 誰もがフェイスブックのページを持っているという現状に、利点がないわけではない。例えば中部の沿岸都市シルト(Sirte)にある病院の公式ページでは、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」との衝突の犠牲者名簿が毎日更新されている。

 時に現代と昔ながらのやり方が併用されて、ユーモラスな結果が生まれることもある。例えば数人の民兵がソーシャルメディア上で共同声明を出すとする。旧式に文書に署名・押印した上で、声明が本物だと証明するために、いかにも現代式にその写真を添付するのだ。

 国の治安部隊の不在も事態を複雑にしている。国連(UN)とトリポリの政府は、政府機関や大使館の警護に当たる「大統領警備隊」なる組織の創設を検討している。

 どこかで何かが起きた場合に情報を得るには、その区域を牛耳っている民兵組織を通す必要がある。ただし民兵組織は支配地域内の秩序維持という名目で政府から財政支援を受けているため、自分たちの縄張り内で衝突が発生した場合を除き、毎度口を開いてくれるとは限らない。

シルトでの衝突(2016年10月撮影)。(c)AFP/Fabio Bucciarelli

 現場で直接情報収拾に当たってみることももちろん可能だが、外国人にとっては危険を伴う。私のようにチュニジア出身で、リビア国内でも同姓が見つかる「近場の外国人」でもそうだ。民兵組織の支配地域は常に変化し、検問所は林立し、スパイ容疑をかけられることも珍しくない。

 こういうジグソーパズルのような状況の中で働くには、一定のノウハウが必要だ。例えばシルトでは、帳面よりもカメラで仕事をした方が良い。地元民兵らは私が鉛筆を出して何をしているのかといぶかしみ、スパイに違いないと断定されてしまう。

 それはムアマル・カダフィ(Moamer Kadhafi)政権下でも同じだった。カメラを持っていたおかげで危機的状況を回避できたこともあった(ジャーナリストならばカメラを持っているはずだと思われたようだった)。ところが首都トリポリでは真逆だ。どんな場合でもカメラを取り出してはいけない。

 首都には首都ならではの難しさがある。表立って取材して良い時と、用心すべき時をわきまえなければならない。市内に民兵組織がいくつあるのか、またそれぞれの支配地域はどこなのか、誰も正確には把握していない。数十の組織が存在し、複数のグループを取り仕切る上部組織が少なくとも5つあるのは間違いない。だが厳密にはいくつあるのか、答えられる人間はいない。その点、地方都市は1つまたは2つの地元部族を主とする民兵組織が取り仕切っているので分かりやすい。

リビア・ベンガジ南部での衝突(2016年11月撮影)。(c)AFP/Abdullah Doma

 私はいつも、状況が落ち着いている時ほど細心の注意を払う。そんな時こそ、事態が悪い方へ急変しやすい。そうなると運悪く検問所で足止めされることもある。

 こういう状況である以上、プライベートを楽しむ時間など最低限になってしまう。外国人の友人がいるが、会うのは週末だけ。平日に会うのは危険過ぎる。大使館もなければ、非政府組織(NGO)もほとんどない。欧州連合(EU)のNGOが戻ってくるはずなのだが、まだ実現していない。犯罪率は極端に高く、とりわけ外国人が狙われる。リビア人は大半が武装しているため、泥棒も地元住民の家に侵入する危険は冒さない。ロケット発射装置を備え付けてある家に入ってしまうかもしれないのだから…。

リビアの首都トリポリの市場(2016年3月撮影)。(c)AFP/Mahmud Turkia



私はもう何年も暮らしてリビアをよく知っているし、今も本心からこの国が好きだ。ここにAFPの支局を開設したのは2008年、欧米の通信社としては初めてだった。2011年2月の革命を現地で取材したのもわが社だけだ。私は当時、トリポリ郊外にあるAFPカメラマンの家にかくまってもらい、そこから記事を書き続けた。玄関がノックされるたびに心臓が止まりそうだった。2015年にいったんリビアを離れてヨルダンで休んだが、今年また戻ってきた。

 2011年のリビアでは、記者はどこへ行っても歓迎された。だがそれはもう遠い昔の話だ。今は私が話す相手の多くが、私のことをフランス政府のスパイだと思い込んでいる。

 苦労しているのは私だけではない。記者仲間の多くがこの国を去っていった。停電や電話回線の遮断のせいで、仕事環境はますます厳しくなっている。

 私が最も恐れているのは空港の閉鎖だ。民兵組織が統制しているため、急いで出国したい時に問題になりかねない。ある意味、今のリビアは何もかもが偶然的だったカダフィ時代と変わらない。しかも今はそこに、治安上の混乱が加わっている。

 民兵組織は、地元の「有力者ら」からなるどちらかの政府から資金を得ている。中には密航に関わって金もうけをしている民兵組織もある。彼らは沿岸警備を担うが同時に、欧州行きを切望する移民らがひしめく船の出航も管理している。時には密航あっせん業者を阻止し、自分たちの「仕事」を続けるためとして政府に金銭を要求することもある。

 一方でリビアは素晴らしい国でもある。優美な景観に恵まれ、生活のリズムはゆったりしており、古代ローマ時代にさかのぼる遺物の保存状態も良い。

リビアの首都トリポリから130キロのフムス郊外にあるローマ時代の都市遺跡レプティス・マグナ(2016年12月撮影)。(c)AFP/Mahmud Turkia

 この国の最大の問題は、国よりも地方、地方よりも部族が優先されることにある。おのおのに強烈な独立心があるため、国の一致団結を保つ集合体が生まれにくいのだ。(c)AFP/Imed Lamloum

このコラムは、駐リビアのイメド・ラムルム(Imed Lamloum)記者が、ピエール・セレリエ(Pierre Celerier)記者と共同執筆し、パリ(Paris)本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者が英訳し、2017年1月11日に配信された記事を日本語に翻訳したものです。

リビアの首都トリポリ近郊の収容所でサッカーをする移民と収容所職員(2016年12月撮影)。(c)AFP/Taha Jawashi