【11月28日 AFP】北朝鮮では28日、キューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長の死を悼み、3日間の服喪期間が始まった。

 首都平壌(Pyongyang)のある地下鉄駅では、朝鮮労働党の機関紙「労働新聞(Rodong Sinmun)」が掲載したカストロ前議長の死亡記事がガラスケースに入れられ、人だかりができていた。両国間は実際の交流よりも言葉上のやりとりの方が温かかったが、それでも全国の公共施設では半旗が掲げられた。

 金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)朝鮮労働党委員長は追悼の辞で、カストロ氏を米国の侵略に対する共同闘争の英雄的盟友と位置付け、国民の「親しい友人であり同志」と呼んだ。

 カストロ氏は一度しか北朝鮮を訪れたことがない。それもキューバ革命や金日成(Kim Il-Sung)政権の樹立から何年も経った1986年だった事実が反映していたのは、2国間の地理的・文化的距離に加え、イデオロギー的にもしばしば相いれず、「敵国アメリカ」に対して共有していた憎しみが完全に橋渡しされることがなかったということだろう。

 カストロ氏は2003年にマレーシアで開催された非同盟諸国(NAM)首脳会議に出席した際、中国、日本、ベトナムを訪れたが、この時も北朝鮮には立ち寄らなかった。また金日成国家主席、その息子の金正日(キム・ジョンイル、Kim Jong-Il)総書記もハバナ(Havana)を訪れることはなかった。

 1970年代には「非同盟運動(Non-Aligned Movement)」の中で両国は対抗し、カストロ氏が旧ソ連寄りだった一方で、金日成氏はソ連・中国の両国と等距離を保って二つの共産主義大国をけん制させようとしていた。

 しかし、指導者同士の個人的交流は欠いても、2国は同盟関係を維持し、キューバは北朝鮮の核開発計画に対して科された国際的な制裁に従おうとしなかった少数の国の一つだった。(c)AFP/Giles HEWITT