■退路を断って臨む生徒たち

 もう一つの問題は国際社会からの制裁措置だ。北朝鮮が2016年に2回の核実験を行ったことを受けて、スイスが同国に対して制裁を行うと、スイスに本部を置く国際サッカー連盟(FIFA)も3月、北朝鮮を対象とした170万ドル規模のサッカー発展プロジェクトを凍結した。

 5月にはイタリア・セリエAのフィオレンティーナ(Fiorentina)のユースチームに加入した北朝鮮の選手の給料を、国家が「ピンハネ」しているとして、イタリア政府が憂慮の意を表明している。結局この選手は7月、「政治的な問題」でクラブを退団することになった。

 平壌国際蹴球学校も、先ほどのプロジェクトから資金提供を受けていたため、現在は資金繰りの問題に直面している。北朝鮮サッカー協会(DPRKFA)のソン・ヒェヨン(Song Hye-Yong)氏は、「制裁によって、多くの困難が生じました。ここも例外ではありません」と話している。

 学校の入学選考は非常に厳しく、合格したとしても、試験の連続によって容赦なくふるい分けられ、毎年多くの生徒が故郷へ送り返される。コーチのリ氏は、「才能のない人間の排除は避けられないことです」と話す。

 生き残った精鋭は、国際経験を積む一番の近道である代表チーム入りの機会が与えられるが、それでも海外クラブでのプレーを許可される選手はほんの一握りだ。

 このように、アカデミーの卒業生であっても、将来の見通しは極めて限定的と言わざるを得ない。しかし、生徒たちのほとんどは国を代表して戦うことしか考えておらず、うまくいかなかった場合の代替案に考えをめぐらせる人はいないようにみえる。

 リ氏の指導を仰ぐ15歳の生徒は、「僕らは何がなんでも成功するつもりでここへ来ました。ダメだったときにどうするかなんて、考えたことがありません」と語った。(c)AFP/Giles HEWITT