【9月12日 AFP】私は今、ナイジェリア北部ボルノ(Borno)州の州都マイドゥグリ(Maiduguri)国際空港に着陸体勢に入った飛行機の中から、眼下に点在する村落を、目を細めながら見ている。

 おそらく雨期なのに、サバンナは乾燥して砂ぼこりが舞っている。茶色い地面には、未舗装の道路や踏み固められた道筋が、クモの巣のように広がっている。

 ここを訪れるのは3度目だが、今回も水辺のような場所はほとんど見えず、またも「人々はこの厳しい気候の中で、どうやって生きているのか?」と思わずにはいられなかった。水を飲むのを忘れないよう自分に言い聞かせた。

 着陸すると、日差しは目をやられそうなほどにまぶしく、暑い空気がヘアドライヤーの熱風のように顔に襲ってきた。

 マイドゥグリは、雨が降った時にだけ水が流れるンガダ(Ngadda)川の北岸、サハラ砂漠のすぐ南に位置し、歴史的な商業の中心地だ。何世紀にもわたって貿易商人や、昔からの部族や宗教の指導者らが争いを繰り広げた後、約1世紀前には植民地主義者たちが代わってこの街をめぐり争った。

(c)AFP/Stefan Heunis

 そして近年のボルノは、イスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」発祥の地として悪名をとどろかせるようになった。2009年以来のボコ・ハラムによる暴挙はナイジェリア北東部を壊滅させ、その暴力は国境を越えて、カメルーンやチャド、ニジェールにまで広がっている。

 AFPでは、ボコ・ハラムが反乱を開始した当初から取材を続けてきた。モスクや教会、市場、バス乗り場などを標的とした残酷で容赦ない攻撃や、辺境の集落を狙った自爆攻撃や襲撃を報じてきた。

 過去1年半の間にナイジェリア軍は近隣諸国の支援を受けて、ようやくボコ・ハラムの支配地域を奪還し、彼らを弱体化させ、戦略面では敗北に追い込んできたように見える。しかし、だからと言って、住民たちの生活が好転しているわけではない。

 ここ何週かの間にこの紛争の衝撃的な側面がもう一つ浮上している。深刻な食糧不足だ。大勢の人々、特に子どもたちが深刻な急性栄養不良に苦しんでいる。栄養不良では生易しい。これは飢餓だ。死者も出ている。

(c)AFP/Stefan Heunis

 栄養失調が最も深刻だと報告されている国内避難民(IDP)のキャンプを訪れるには、軍の同行が必要だ。そこで私たちは、マイドゥグリ郊外で国連児童基金(ユニセフ、UNICEF)が栄養クリニックを運営しているムナ(Muna)にある非公式のキャンプへ車で行くことにした。

■尊厳の尊重

 ムナのようなキャンプ地の取材ではいつも、取材対象の人間性を保ちながら、できる限り率直に状況を伝える最善の方法を考える。苦しむ人々を目の前にしながら、その状況を直ちにどうすることもできない、無力な自分に向き合うのは容易ではない。

(c)AFP/Stefan Heunis

 被写体を尊重しながら、彼らにレンズを向け、瞬間を捉えなければならない。これも容易ではない。被写体の尊重をもたらすものの一つは、目の前の彼らが置かれているさまざまな現実に対する感受性だと思う。

(c)AFP/Stefan Heunis

 ムナのキャンプ地に対する第一印象は、乾ききった黄塵(こうじん)地帯、草一つない不毛の地だった。太陽が照りつけるむき出しの地面に、テントの塊が点在していた。暑さがあまりに厳しくて、最初は人がいることさえ気付かない。どこを見ても蜃気楼で人影がぼやけて見えた。

 このキャンプで生活している避難民は現在1万6000人近く、その数は日々増えている。食べ物がなく、希望もほとんどなく、日陰もない──彼らの絶望感はそこら中に漂っていた。乾燥の中で湿気を求めるハエが、女性や子どもたちの目や口の周りをうるさく飛んでいるが、衰弱しきった彼らにはハエを払う力もない。

(c)AFP/Stefan Heunis

 女性たちは周囲のバオバブの木の葉を集めてスープを作り、男性たちは木の枝や草を集めて、その場しのぎのテントを作っていた。こんな環境で生き延びていくのは簡単ではない。

 私たちは医療スタッフの後についてテントからテントへと回った。医療スタッフらは子どもたちの上腕周りを測りながら、栄養失調の兆候はないか調べていた。測定用のテープは緑、黄色、赤の三つの目盛りで区分けされていて、上腕周りが緑の線を超えていれば許容範囲、黄色は懸念すべき状態、赤色の目盛りが示す11.5センチ以下の場合は、栄養失調と診断された。

(c)AFP/Stefan Heunis

 数少ない家畜の牛さえもガリガリに痩せていた。皮と骨だけになり、傷口にハエがたかり、死骸同然だった。

 男性はほとんどいない。2か所しかない水たまりの周りに、バケツや何でも容器になるものを持った女性や子どもたちが、貴重な飲み水をくみに集まっていた。

 強い日差しのせいで写真を撮るのは難しい。1日の大半は日光が真上から照りつけ、昼になる頃には脳みそが頭の中でフライになっている。まさに「核の白い光」と呼ぶにふさわしい。こうした日差しは、撮影にとって最悪の光だ。ハイライト部分が飛ぶ傾向があり、写真の一部が漂白されたようになってしまうからだ。

(c)AFP/Stefan Heunis

 蜃気楼(しんきろう)で揺らいで見えた避難民のほとんどは、ボコ・ハラムの暴力から逃げて来た人たちだった。家や畑、コミュニティー、生活の糧だったすべてを捨て、着の身着のままでここにたどり着いた。

 木の葉のスープは、米とチキンと野菜といった普段の食事の代わりになるようなものではない。援助機関から配給される高エネルギーの栄養食でも、普通の食事の代わりにはならない。

■骨と皮

 クリニックの環境は十分とはまったく言えない。そもそもクリニックの存在自体が公認されていない。人々が暮らすテントと同じように、クリニックも枝やわらで作られ、水道はない。あるのはテーブルとベンチと、泥の地面を覆うカンバス地の布だけだ。

 外には、アフリカ特有の色鮮やかな服装の女性や子どもたちが列を成している。新生児から7、8歳までの子どもたちが、栄養補助食が必要かどうかを判断する診察を受けるために並んで待っている。

(c)AFP/Stefan Heunis

 深刻な急性栄養失調になっている子どもを見て最も衝撃的だったのは、体の変形だ。胴体に比べて頭が異常に大きくなり、痩せこけた体の骨が皮膚から突き出るように隆起してくる。

 私が撮影した生後6か月の乳児は、体重がわずか3.2キロだった。健康な新生児と比べて軽すぎる。栄養不良がひどい子どもたちの瞳にもショックを受けた。好奇心からくる輝きと、不安による動揺が入り交じった目をしていた。

(c)AFP/Stefan Heunis

 乳児たちはしょっちゅう母乳をせがんでいたが、乳房からは何も出てこなかった。母親たちの体には、我が子に与えられるものが何も残っていなかった。

 最初、私は怒りを募らせた。どうして世界はこんな事態が起きることを許しているのか。彼らはまだ幼い子どもなのに。そして泣きたくなった。だが泣いても何の助けにもならないし、何も変わらない。私ができる唯一のことは、この状況を可能な限りありのままにカメラに収めることだ。

(c)AFP/Stefan Heunis

 私が撮影した人々は、そうした過酷な状況にあっても、私たち記者をたいていは受け入れてくれた。写真を撮られたくない人は、顔を隠したり、手振りで嫌だという意思を示してくれる。それは問題じゃなかった。

 彼らの尊厳の一部は、まず喪失を経て失われ、今度は苦境によって奪われていた。人間は自立することで自尊心を保つ。過酷で敵対的な状況下に置かれているときはなおさらだ。以前の彼らは自らの土地を耕し、子どもたちを養っていた。だがボコ・ハラムにそれらを奪われた今、彼らは他者の善意に頼っている。

(c)AFP/Stefan Heunis

 私は写真を撮り歩きながら、彼らの深い悲しみ、声なき悲しみを感じとった。

 だが、そうした悲しみの中でも、小さな喜びや心からの笑顔を見ることができた。例えば、何人かの少年たちは、空き缶や木の枝、針金や粘土を使っておもちゃの車を作り、泥だらけになってそれを押して遊びながら笑い声を上げていた。

(c)AFP/Stefan Heunis

 私が撮影した写真がAFPの配信を利用しているメディアに送られると、彼らはその写真を、国連が警鐘を鳴らすボルノ州の子どもたちの栄養失調の実例として使い始めた。国連による警告は厳しかった。ボルノ州では今年だけで、5歳未満の子ども25万人が深刻な急性栄養失調に陥るリスクにあり、何も対策が取られなければ5万人が死にかねない──。

 写真を見た人たちの反応はさまざまだった。ひどい状況に心を痛める人や、ナイジェリア政府はなぜ助けないのかと疑問をぶつける人がいる一方で、冗談を言ったり「貧困ポルノ」だと一蹴したりする人もいた。善意の同情や怒りの声はたくさんあるが、おそらく共感が足りていない。過酷な現実は変わらない。子どもたちは今も餓死している。

(c)AFP/Stefan Heunis

 ある人は私の撮った写真を「のぞき見主義」だと批判し、私たちフォトグラファーはなぜ人々を助けないのかと非難された。こんな状況で、飢餓にひんしている子どもたちや避難民を見て面白がるフォトグラファーなどいない。のぞき見? 貧困ポルノ? そう見たければ、そう見えるだろう。

 でも私にとって、これは現場で起きている現実を目撃し、伝える映像だ。避難民キャンプでの生活がどんなものか、現実以上でも以下でもなく、できるだけ正確に示す写真だ。そこに存在しないものを撮ることはできない。

■人命の問題

 華やかなビジネスマンがシャンパンのボトルを空けて、アフリカ最大の経済を自慢しているような首都アブジャ(Abuja)や大都市ラゴス(Lagos)だけが、ナイジェリアではない。何年にも及ぶ紛争で破壊され、荒廃したマイドゥグリもこの国の一部だ。

(c)AFP/Stefan Heunis

 ボコ・ハラムは今は追い込まれているかもしれないが、彼らの暴挙の「後遺症」は現れ始めたばかりだ。これはテロでも領土でも宗教の問題でもない。人命に関わる問題だ。

 飢えた子どもの映像は目新しくはないだろう。アフリカからの報道で私たちがそういう写真を目にするようになって久しい。なのに今も飢餓は続き、幼い子どもたちが苦しんでいる。

(c)AFP/Stefan Heunis

 2014年にボコ・ハラムが、ナイジェリア北東部チボク(Chibok)の学校から女子生徒200人以上を拉致した前代未聞の事件は、国際社会の怒りと非難を呼んだ。しかし今、5万人の子どもが餓死の危機にひんしている中、国際社会はほとんど沈黙している。私たちの目の前でまたも人道危機が起きているのに、世界は重い腰を上げないままだ。

 女子生徒たちが拉致された時は、ツイッターで「少女たちを取り戻せ」というハッシュタグ、「#BringBackOurGirls」が立ち、世界の注目を集めた。だが今、ハッシュタグはどこにあるのか。(c)AFP/Stefan Heunis

このコラムは、ナイジェリア・ラゴスを拠点に活動するフリーランス・フォトグラファーのステファン・ヒュニス(Stefan Heunis)が、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者と共同執筆し、2016年7月27日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

(c)AFP/Stefan Heunis