【8月2日 AFP】ショシュアナ・ドゥグマ(Shoshana Dugma)さん(83)は66年前のあの朝のことを今でもはっきり覚えていると語る。イスラエルの移民キャンプで、授乳のために託児所に行ったら、娘が消えていたという。

「朝6時、その託児所に私は誰よりも先に入った。そしてそこには何もなかった」と、当時イエメンから来たばかりだった彼女は、11か月の娘マザル(Mazal)ちゃんがこつぜんと消えていたことについて語った。「彼女のベッドは空だった」

 このように移民一家の赤ちゃんが行方不明になったという話は、イスラエルでは何十年も前から語られてきた。そうした疑惑について公式文書の公開を求める声が高まっており、間もなく新たな光が当てられるだろう。

 活動家や行方不明になった赤ちゃんたちの家族らによれば、イスラエルが建国された1948年以降、数千人の赤ちゃんが姿を消しているという。主にイエメン系ユダヤ人の家庭の子供だが、他のアラブ諸国やバルカン諸国からの移民一家の子供たちもいたという。

 活動家たちは、赤ちゃんたちは「盗まれて」、イスラエル国内外に住む欧州出身のユダヤ人一家、特に自分たちの子供を持つことができない夫婦に渡されたのではないかと疑っている。

 この疑惑は、ユダヤ人の間における人種差別を浮き彫りにした。イスラエルでは欧州出身のユダヤ人は昔からエリートとして扱われてきたが、欧州以外の国からやって来たユダヤ人は差別されている。

 最近になってこの問題の真相究明を求める超党派の議員連盟が設立された。ベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相は、あと数十年間公開されないことになっている文書の公開を支持すると表明した。

 イエメンから移住してきたユダヤ人は言葉の壁に加えて、欧州出身のイスラエル人の「家父長的温情主義」にも直面したという。欧州出身のイスラエル人たちは、アラビア語を話すユダヤ人一家に生まれた子供は、自分たちの家庭で育ったほうが幸せだと考えたようだ。

 授乳のために託児所に行ったら、赤ちゃんの体調が悪かったから病院へ送ったと看護師に言われ、急いで病院に行ったら赤ちゃんは死んだと告げられた──イエメン出身のユダヤ人家族がこのようにして子供を失ったという話は枚挙にいとまがない。

 子供が長期間行方不明になっている親たちの元に子供宛ての徴兵通知が届き始めたことなどからこの問題が明るみに出始め、国の調査委員会が1967年に初めて設置された。

 これまでに数回にわたって調査委員会が組織され調査が行われたが、最終的には、行方不明になった乳幼児の大半は死亡したことが親に適切に連絡されていなかったもので、誘拐はなかったと結論付けられた。

 事件に関係する資料は、プライバシーの問題だとして70年間は非公開とされた。

 シュロミ・ハツカ(Shlomi Hatuka)さん(38)は、彼が「人道に対する犯罪」と呼ぶこれらの事件を調べ、記録に残そうとしている活動家の1人だ。

 彼は16歳の時に、イエメン人の祖母が出産した双子の1人が「誘拐」されていたことを知り、衝撃を受けたという。そして3年前にこれらの事件の証言を集める組織「アムラム(Amram)」を他の活動家と共同で創設した。

 同組織のウェブサイトに掲載されているギル・グルンバウム(Gil Grunbaum)さん(60)の話はこうだ。彼は人生の前半を、ホロコーストを生き延びた欧州出身のユダヤ人一家の息子として過ごしたが、養子だったことが判明。実母はチュニジア出身の女性で、彼女は出産後に息子は死んだと知らされていた。

「誰も神のまね事をしてはならない」と、グルンバウムさんは言う。「どの家庭のほうが子供が幸せに生きられるなどと決める権利は誰にもない」

(c)AFP/Jonah Mandel