【5月27日 AFP】世界初の核攻撃を生き延びた人々の心には、米国が恐ろしい爆弾を広島上空から投下した日に経験したことが永遠に焼き付いている。生存被爆者は歳を重ね、その数は次第に少なくなっているが、70年を超える歳月を経た今でも、絶えずつきまとう記憶は少しも薄れることはない。

 バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領による平和記念公園(Hiroshima Peace Memorial Park)慰霊碑への献花を前に、被爆者たちがAFPに当時の体験を語った。オバマ大統領の広島訪問は、現職の米大統領として初めて。

 原爆が投下された日、広島の空はパッと明るくなり、次の瞬間、人々は地面にたたきつけられた。生存者の話によると、あたり一面は火の海と化し、皮膚や肉が垂れ下がって見るも無残な姿となった人々が混乱の中で逃げ回っていたという。中には眼球が飛び出してしまった子どもたちもいた。

 被爆者の中には、「あの日」を思い出すので、夕日の光を見るのが嫌だという人もいる。

 オバマ大統領は世界に影響を与えることができると期待する声も聞かれる。広島と長崎のきのこ雲の下で何が起きたのか、知り始める年になってほしいと。

■日本人だけでない被爆者

 朝鮮半島出身の朴南珠(パクナムジュ)さん(83)は、あの日浴びた放射能により、乳がんと皮膚がんに苦しんできた。

 広島の原爆による死者のうち約2万人が朝鮮半島の出身者だったと推定されている。その多くは日本が朝鮮半島を植民地支配していた1910~1945年に強制労働者として日本に連れて来られた人々だった。

「何の形もとどめない。全部がバラバラ。ただ、がれき。言葉で表すことはできません。それは残酷な…」と朴さんは語る。「広島は火の海だったです。全身血だらけの人が『熱い、熱い、助けてくれ…』。生きてる人の傷口からウジ。手当てをするにも薬もない。人の命は貴いっていうけれど、原爆で亡くなった命は虫けら同然です。今でも、その光景を思い出すと涙が出てくる。ほとんどの人が思い出したくない」

「日本人だけでなく、在日の人も、韓国人以外も、中国の人もいろんな形で被爆した人がいることは知ってほしいと思います。私はカトリック(教徒)。夜にはロザリオを持ってお祈りします。マリア様の銅像を置いて『どうぞ、安らかに天国へお導きくださりますように』と」