【5月17日 AFP】中国人実業家の黄怒波(Huang Nubo)氏の父親は反革命分子のレッテルを貼られ、獄中で自殺した。だが文化大革命(Cultural Revolution)の時代、黄氏は自ら紅衛兵となり他の人たちを侮辱し、たたきのめした。それが彼と彼の世代が生きた時代だったが、再び同じことが繰り返されることを恐れていると、黄氏は語る。

 中国の富豪であり、登山が趣味でエベレスト(Everest)に3度登頂したことがある黄氏は、国外ではアイスランドの土地を購入しようとして物議を醸したことで知られる人物だ。

 一方で黄氏は駱英(Luo Ying)のペンネームで、50年前の5月16日に毛沢東(Mao Zedong)の主導で始まった文化大革命期の社会の混乱について詩集を2冊出している。

 黄氏の父親は国共内戦で共産党軍の将校として戦ったが、毛沢東による初期の粛清の犠牲となり投獄されて暴行され、黄氏がまだ3歳だった頃、獄中でためた薬を一度に過剰摂取して自殺したという。

 中国北部の寧夏回族自治区(Ningxia Hui Autonomous Region)の村で汚名を着せられながらも、黄氏は文革の時代に熱狂的な紅衛兵になった。黄氏が当時、地主を「鋼の拳」で殴ったことを書いた一編の詩がある。その地主はのちに亡くなったという。

 黄氏はその後、毛沢東によって地方の農村に送られ、エリート主義的な態度を正すよう命じられた約2000万人の若者の一人となった。

 隣人同士、同僚同士が「批判闘争大会」で批判し合い、子どもは両親を批判した。批判されたかと思えば、他の人と手を組んで別の誰かを批判するということが複雑に絡み合った時代だった。黄氏は「私は被害者であり、参加者であり、加害者であった。私は他の人を糾弾し、私も糾弾された」とAFPに語った。

 中国本土での出版が禁じられた黄氏の2冊目の詩集の最後の文にはこう書かれている。「文革の時代を生きた人々にとって、誰が人間で誰が鬼かという区別はどうでもよかった」

 黄氏は自身が支援する詩の研究センターがある北京大学(Peking University)で「私たちはみんな悪魔だった。私も含めて」と語った。