【5月13日 AFP】中国では文化大革命(Cultural Revolution)の狂乱のさなかに恐ろしい「人肉宴席」の犠牲となった人々がいた。しかし、文革開始から50年を迎えた中国共産党は、当時の回想も、文革そのものや残虐行為についての歴史的評価も、包み隠そうと躍起になっている。

 文化大革命は、大躍進政策(Great Leap Forward)で失敗し政敵打倒をもくろむ毛沢東(Mao Zedong)の主導で1966年に始まった。全土で暴力行為や破壊行為が10年続き、党主導の階級闘争は社会的混乱へと変貌していった。まだ10代の紅衛兵(Red Guards)たちは、「反革命的」だとして教師を撲殺。家族間で非難の応酬が起き、各地で激しい派閥争いも発生した。

 だが、かつて毛沢東について「70%は正しく、30%は誤り」と評価した中国共産党は、文革の下で起きた出来事や責任の所在をめぐって本格的に議論することを認めてはいない。

 文革時代の最も行き過ぎた行為の一つに、中国南部・広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)の武宣(Wuxuan)県で起きた、粛清の犠牲者の心臓や肝臓、性器が食べられた事件がある。

 共産党が文革を宣言した1966年5月16日の「五一六通知」から50年が経過した現在、武宣県にはフローズンヨーグルトを売る店が立ち並び、こけむした石灰岩の下を流れる川で男性たちが釣りを楽しんでいる。木々の枝には共産党の人民への貢献をたたえる赤い旗が掲げられている。

 地元住民の中には、飢えではなく政治的憎悪によって武宣県の路上を血に染めた数十件に上る食人行為について、聞いたこともないと話す人もいる。

 80年代初頭に公式調査を行った主要メンバーの一人は、匿名を条件にAFPの取材に応じ、武宣県では少なくとも38人が食人の犠牲になったと明かした。「全ての食人行為は、階級闘争があおられた結果起きたもので、憎悪の表現として行われた。恐ろしく、獣にも劣る殺人だった」