【5月2日 AFP】キューバの首都ハバナ(Havana)の海岸沿いを走る通りを、人はマレコン(Malecon)と呼ぶ。市民の憩いの場であり、キューバ人の本質を見せてくれる窓でもある。

 バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領が歴史的なキューバ訪問を果たした際、私も同国を訪れてみた。そこで目にしたキューバの人々は、不安げである一方で興奮し、浮足立った様子だった。

マレコン(2008年10月撮影)。(c)AFP/Adalberto Roque

 ハバナ市民がマレコンに集う理由はさまざまだ。

マレコン(2008年8月撮影)。(c)AFP/Adalberto Roque

 ほとんどの人にとっては、混雑した街中を離れ、カリブ海(Caribbean Sea)に突き出したこの通りが、開放感と新鮮な空気、そしてリラックスすることしか頭にない他の大勢との触れ合いを提供してくれるからからに他ならない。国民の平均月給は20ドル(約2200円)ほどで、アパートの一室をさらに小さく仕切った極小スペースに住んでいる人が多い。他に大してすることもないから、マレコンに集まるのだ。

■漁師、売春婦、夢想家

 そこには漁師や売春婦もいる。釣り人は防波堤に座り、おかずの足しか、あるいは収入の足しになればと、海の幸を狙う。売春婦は波打ち際の歩道を行ったり来たりしながら、急増している外国人観光客を狙う。

マレコンの釣り人(2015年9月撮影)。(c)AFP/Filippo Monteforte

 ただ海を見つめに来る夢想家もいる。

マレコンからヨットレースを眺める人々(2015年5月撮影)。(c)AFP/Yamil Lage

 キューバのあの光り輝く景色には、希望があふれている。そして同時に、過酷な現実もある。ハバナ市民はもう何十年もマレコンの防波堤に寄りかかりながら、フロリダ海峡(Florida Straits)を渡り、この国の政治的抑圧や貧困、米国の禁輸措置による深刻な孤立から逃れ、新たな人生を歩み出すことを夢見てきた。事実、何千人もがそのために何もかもをなげうった。タイヤのチューブや発泡スチロールの類いでできたボートに乗り込んだ。途中で捕まった人、溺れた人、サメの餌食になった人もいた。

ハリケーンに見舞われるマレコン(2005年10月撮影)。(c)AFP/Antonio Levy

 しかし今日のキューバ人は違うものをそこに見ている。米国との関係改善の見通しにより、キューバに活気が戻るかもしれない。難民が逃げて行く代わりに、観光客や潜在的投資家らが押し寄せてくるかもしれない。

ハバナで、観光客が通り過ぎる脇で車を修理する男性(2016年3月撮影)。(c)AFP/Rodrigo Arangua

■不気味な静けさ

 オバマ大統領が3月にキューバを訪れた際、私はマレコンに人波ができているだろうと予想していた。最初のイベントである旧市街での散策のため、その海岸通りを走っていく重装甲の大統領専用リムジン「ビースト」を一目見ようと、皆頑張っているはずだ。

ハバナを走る「ビースト」(2016年3月22日撮影)。(c)AFP/Diana Ulloa

 しかしマレコンに人影はなかった。ただ閑散としていたというだけではない、人類滅亡後を思わせるような、荒涼とした雰囲気が漂っていた。

閑散としたマレコン(2008年11月撮影)。(c)AFP

 私は最初、キューバでその午後珍しく雨が降ったせいだろうかと考えた。だがそれでは、88年ぶりの米大統領訪問に先立ってあれほど興奮に沸いていた街が、突如そこまで静まり返った説明にはならない。

 そこで私は街頭に出ていた数少ない人たちをよく観察してみることにした。一部は思った通り外国人観光客で、後は一人残らず私服警官だった。

 鋭い目つきと鍛え上げた体格の彼らは目立っていた。至る所に、あらゆる通り、あらゆる街角に、1人だったり2人組だったり、または4~5人のグループで立っていた。

オバマ大統領のハバナ旧市街散策に先駆け、群衆を監視する治安警察官ら(2016年3月20日撮影)。(c)AFP/Nicholas Kamm

 取材のため、警官ではないキューバ人を必死になって探したところ、バス停で雨宿りをしていた20人ほどの集団を見つけた。米国人、フランス人、スペイン人に加え、そこにも私服警官が2人いた。もう1人、土木技師のアリエル・エルナンデス(Ariel Hernandez)さん(42)がいた。やっとキューバ市民に巡り合えた。

「彼らは私たちをこの訪問に一切近づけたくないのだ」と、エルナンデスさんは言った。「彼ら」が指すのは警察だけではない、ラウル・カストロ(Raul Castro)国家評議会議長も含まれる。「ここまで来られたのは、リュックサックのせいで観光客と思われているからかもしれない」

 オバマ大統領を市民から遠ざけようとする政府の規制は、3日間の訪問中ずっと続いた。歴史ある大聖堂のそばや米対キューバ野球観戦など、大統領が一般人と触れ合う場面は確かにあった。だがそこにいたのはあらかじめ承認を受けた群衆であり、演出されたイベントで与えられた役を演じているだけの飾りにすぎなかった。

ハバナ大聖堂前で、観光客やキューバ市民と握手するオバマ大統領(2016年3月20日撮影)。(c)AFP/Yamil Lage

 こうした措置は驚きではないにしろ、やはり嘆かわしいものだった。何といっても現政府は、独裁政権に対する武装反乱により、また今も日常的に国営メディアが神話化して伝えるその高尚な革命によって樹立されたのだから。

 ただカストロ議長は街を制御する能力については実証してみせたものの、人々のムードまで制御しようとする試みは完全に失敗していた。

オバマ大統領の到着をテレビで見るキューバ市民(2016年3月20日撮影)。(c)AFP/ Rodrigo Arangua

 雨と警官の両方から身を潜めていたエルナンデスさんは、オバマ大統領がハバナ訪問によって、60年近くに及んだ国交断絶と対米プロパガンダを打ち破ったことに興奮していた。

「子どもの時から革命の話を聞かされ、これはまさに米国に敵対する話だった」とエルナンデスさん。「真に歴史的な瞬間、とてつもないことだ」

オバマ大統領が到着する数時間前のハバナ旧市街(2016年3月20日撮影)。(c)AFP/Yamil Lage

 宿敵との雪解けの見通しを受けて広がった楽観論や期待まで抑え込むことは不可能だった。

 オバマ大統領とカストロ議長が共同会見の様子が、国営テレビ史上初となった生中継で放映された際に国民が目にしたものは、よどみなく、時にユーモアを交えながら質問をさばく米大統領と、どんどん気難しい顔つきになっていく老人のような自国指導者との驚くべき差だった。

記者会見するオバマ大統領(左)とラウル・カストロ議長。(c)AFP/Nicholas Kamm

 その後オバマ大統領が壮麗な劇場で行った演説も生中継された。大統領が民主主義を訴えた時、仕込まれていたはずの聴衆のあちこちから大きな拍手が巻き起こった。ボックス席に硬い表情で座っていたカストロ議長に、それを制止するすべはなかった。

■「まるで救世主」

 オバマ大統領が去って間もなく、またも強力な変革の使徒が舞い降りた。英ロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)」だ。

 欧米で高齢になったストーンズが何十年も前の曲を歌ったら、今でも人気のヒットナンバーだったとしてもパロディーめいて見えかねないが、キューバでは違う。ストーンズがこれまで決して公演を許されなかった国であり、ロックを聴きたいファンらは閉め切った場所に追いやられていた国だ。彼らはダイナマイトだった。

「まるで救世主だ」と、あるキューバ人ファンは言った。

キューバで初めての公演を行うミック・ジャガー。(c)AFP/Yamil Lage

 ストーンズのハバナ公演の夜ほど、あの絶大な力を持ち何もかも監視しているキューバ政府が無力に映った時はなかった。

 コンサートは入場無料で、あまりに大勢が押し掛けたため会場はすぐにいっぱいになり、周囲の建物の屋根の上まで人があふれた。かつて、英語を話す資本主義世界のキューバ革命を台無しにしようとする陰謀に加担しているとみなされたミック・ジャガー(Mick Jagger)が、「ついに時代が変わりつつある」と言った時、観客は跳び上がってこれに応えた。

オバマ大統領の訪問を控えたハバナで、星条旗柄のシャツを着る人(2016年3月撮影)。(c)AFP/Yamil Lage

 もちろん、オバマ大統領が去り、ストーンズが去った後のキューバ国民に残されたのは、失速しつつある革命だった。それでも、マレコンが通常営業に戻り、何百人もが夜遅くまで集まって談笑したり音楽を演奏したり、海を見つめたりする中、この国がもはや以前と同じではあり得ないことは明らかに思えた。

 この国の子どもなら誰でも教わるように、キューバ革命の最後の戦闘はシエラ・マエストラ(Sierra Maestra)山脈で行われた。

 だがもしかしたら次の革命は、マレコンで手持ち無沙汰に夢を見ている人々の間で始まるかもしれない。それは誰にも分からない。(c)AFP/Sebastian Smith

このコラムは、ブラジル・リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)に拠点を置くAFP記者のセバスチャン・スミス(Sebastian Smith)が執筆し、4月5日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

マレコンで砕ける波(2008年1月撮影)。(c)AFP/Adalberto Roque