【5月3日 AFP】地雷による犠牲者が後を絶たないにもかかわらず、身体障害に対する蔑視が根強いカンボジアで、障害に対する世間の見方を改める一助になろうとしているものがある。それは同国に初めて誕生した女子車いすバスケットボールチームだ。

 西部バタンバン(Battambang)市では、女子2チームが炎天下で対戦していた。身体障害者が「お荷物」扱いされる同国にあって、数年前、選手の大半は自宅に引きこもり、仕事は見つからず、近所でもうとまれる存在だった。

「最初に受ける差別は、家族からのさげすみだ」と説明するのは、シエン・ソクチャン(Sieng Sokchan)主将。10歳の時、自宅付近で背中に流れ弾が当たり、体にまひが残った。発砲したのが誰だったのか、いまだに分かっていないという。

 初めは選手の多くが自信を喪失していた。それを変えてくれる助けになったのが、バスケットボールだった。さらには、人々の見る目も変わってきたという。昨年、一部の選手がマレーシアでの大会に出場し、近隣住民らを驚かせたのだと、ソクチャン主将は言う。

■失ったもの、そして孤独

 30年に及ぶ戦争は、貧しいカンボジアに無数の地雷を残した。過去10年間で、不発弾の撤去に向け大きく前進したとはいえ、人口に対する四肢を失った人の比率が世界で最も高い国の一つという現状は依然変わっていない。

 地雷除去を専門とする慈善団体「ヘイロー・トラスト(Halo Trust)」によると、爆発で手足をなくした人の数は推定で約2万5000人に上るという。

 女子選手らが練習しているコートに程近い場所に、赤十字(Red Cross)が運営する義肢工場がある。発注者の約8割が、地雷の犠牲者だという。

 チームのレギュラーメンバーの一人、1児の母であるロース・ニモル(Lors Nimol)選手(34)は、かつてポル・ポト派(クメールルージュ、Khmer Rouge)の拠点となっていたタイ国境に近い地域の森の中で地雷の除去作業をしていた際に片脚を失った。危険性は認識していたが、どうしてもお金が必要だった。

 5人に1人が貧困線以下で生活しているカンボジアでは、けがによって働き手が1人減ると、一家にとって経済的な痛手は大きい。そのため、愛する人からも邪険に扱われるケースが多いという。

「バスケットボールに出会う前は、独り寂しく家にいた」というニモル選手。外出する理由を与えてくれたのが、車いすバスケだった。

■目指すは東京パラリンピック

 競技に対する熱意に支えられ、女子チームは今や高い目標を掲げている。2020年東京パラリンピックへの出場権獲得だ。赤十字国際委員会(ICRC)でカンボジアの身体リハビリプログラムの代表を務めるフィリップ・モーガン(Philip Morgan)氏も、「念頭に置いてしかるべき目標」だと話している。

 同プログラムでは現在、カンボジア初となる車いすバスケットボール連盟の設立に尽力している。実現すれば、選手らがプロとして競技に臨めるようになる。モーガン氏は、「ただ練習しているだけでは足りない、選手たちの露出をもっと増やしたい、国内でも、海外でも」と意欲を示した。

 ソクチャン主将率いるチームにとってパラリンピックでのメダル獲得はまだ遠い夢だが、バスケットボールはすでに選手らの日常生活に変化をもたらしつつある。「バスケを始めて人生が変わった。孤独と絶望から、希望と喜びに満ちたものになった」と同主将は語る。「今では家族からの差別もなくなった」

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