■自主帰郷した「サマショール」たち

 80代前半のマリア・ウルパ(Maria Urupa)さんは、居住禁止区域を故郷と呼んではいるが自分が暮らす環境がものすごく気に入っているというわけではない。同区域に自主的に帰還した「サマショール」と呼ばれる人たちの大半と同じように、老朽化した粗末な木造住宅で生活している。

 平均年齢75歳というこれらの「違法」な住民らは、今や閉鎖されたチェルノブイリ原発周辺からの強制避難を決して受け入れなかった。爆発で噴き出した有害な放射能の雲が欧州全体に広がった後、公式には居住禁止とされた区域に1000人以上が帰還した。

 ウルパさんは、庭で育てた野菜や訪れる人々が持ってきてくれる食料を食べて生活しているが、他の住民の中には居住禁止区域を出て、最寄りの市場があるイバンキウ(Ivankiv)の町まで足を延ばす人もいる。

 もう一人の住人、ワレンチナ・クハレンコ(Valentina Kukharenko)さん(77)は、訪ねてきてくれる親族が身分証明書の提示を求められ、被ばくを避けるため滞在も3日間に制限されるのが残念だと話す。「放射線レベルが高いっていうのよ。ここに来たことのない外部の人には放射能の影響があるかもしれなけれど、私たちのような老人が何を怖がるというの?」と話した。

 クハレンコさんは「たとえ何年かかっても、ここにまた子どもたちの笑い声が響いてほしい」と語った。1999年には、自主帰還した夫婦に女の赤ちゃんが生まれた。居住禁止区域で生まれた初めての赤ちゃんで、マリア(Maria)と名付けられたという。

 だが生まれつき貧血を患っていたマリアちゃんは1年ほどして、家族と共にチェルノブイリを去った。マリアちゃんの消息は分からないという。(c)AFP/Laetitia Peron