【3月11日 AFP】イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」に拉致されたイラクの少数派ヤジディー(Yazidi)教徒の16歳の少女ニハド・バカラート・アラウシさんは、戦闘員にレイプされ子どもを出産。逃げるために余儀なく赤ん坊を置き去りにし、14か月間にわたった苦難の後遺症に苦しんでいる。

 ニハドさんは英慈善事業団体アマール(Amar)の会議に合わせ、中東の難民や国内避難民の精神衛生問題に対処する「緊急の必要性」について証言した。

 英ロンドン(London)で語ったニハドさんは、ISがイラク北部で虐殺や奴隷化、レイプの標的としているヤジディー教徒の社会と、いまだ人質となっている人々への助けを求めた。IS戦闘員により殺害または拉致されたヤジディー教徒は数千人に上り、行方不明も多数だ。

 ニハドさんは2014年8月、ヤジディー教徒を異端とみなすIS戦闘員の迫害作戦の最中、イラク北部シンジャル(Sinjar)で親族28人とともに拉致された。姉妹6人のうち2人と、兄弟12人のうち2人が今もISに捕われたままだと言うニハドさんは、不安そうに膝を抱え、時折涙を流しながら、心に受けた傷について1時間にわたり語った。

 ニハドさんとヤジディー教徒約300家族は、IS戦闘員によってシリアのハサケ(Hassakeh)県の学校に連行された。「夜のうちに彼らは、男性たちを家族から引き離した。そして戻ってきてこう言った。お前たちがイスラム教徒になるか、男たちを殺すかだ、と」

 イラクに連れ戻された後、「彼らは少女たちを分け」、自分たちと「結婚」させるために、モスル(Mosul)の体育館へ連れて行った。だが、服従を拒むと、2週間にわたり暴力をふるわれた。

 そして地元の首長とその側近がやって来て「21人の少女を選び、一つの部屋に入れて、レイプが始まった」。

 ニハドさんは25歳の戦闘員サラムに「選ばれた」。サラムはニハドさんをレイプした後、妊娠中の妻と息子のいる自宅に彼女を連れ込み、性的暴力は続いた。「彼の妻は私につらく当たった。私が彼女の家を侵略したと言われた」。1か月半後、サラムはシリアで殺された。

 ニハドさんは脱出を成し遂げたがキルクーク(Kirkuk)で再び捕まり、IS制圧下のモスルに連れて行かれ、そこで首長の兄弟に引き渡された。4人の娘の父であるこの男もまたニハドさんをレイプした。男は、彼女がイスラム教徒になれば、家族の元に返してやると言った。ニハドさんはそれを受け入れ、後に妊娠したことを知った。それ以上のレイプを避け、中絶を試みたができなかった。彼女は男のしつこい求婚を断り、赤ん坊を出産した。

 産後3か月で、ニハドさんは隣人を通じて兄弟の一人に電話をすることができ、脱出の手配を成し遂げた。「私の息子エッサを置いて」とニハドさんは涙ながらに語った。「家族のところへは息子を連れていけなかった」

 2015年10月15日、密航業者によってイラクのクルディスタン(Kurdistan)へ連れて行かれたニハドさんは、難民キャンプで家族との再会を果たした。(c)AFP/Maureen COFFLARD