■才能開花、そしてウィンブルドン制覇

 父親が皿洗いなどの仕事で娘の夢を経済的に支援する一方で、母親は査証の規制でロシアに残り、娘とは2年間離れ離れになってしまった。

 そして9歳になったシャラポワは、大手マネジメント会社IMGに才能を評価され、ニック・ボロテリー・テニスアカデミーに通うために必要な3万5000ドルの資金提供を受けて、キャリアを歩み始めることになった。 

 2001年に14歳でプロデビューしたシャラポワは、2003年までに世界トップ50に入ると、同年にはジャパン・オープン(Japan Open Tennis Championships)に続きクープ・バンク・ナショナル(Coupe Banque Nationale)でタイトルを獲得した。

 2004年のウィンブルドン決勝でセレーナを破り、一躍世界的な有名人の仲間入りを果たすことになったシャラポワは、さらに翌年、ロシア人女性選手として初めて世界ランク1位に上り詰めると、2006年の全米オープンで2度目のグランドスラム制覇を成し遂げた。

 2007年から肩の故障に悩まされ、欠場を繰り返すことになったシャラポワだが、2008年の全豪オープンを制覇。その後は再び肩の故障でシーズンの半分を棒に振ることになり、全米オープンと北京五輪の出場を断念した。

 手術を受けて10か月ぶりにツアー復帰を果たした際には世界ランク126位まで後退したものの、2012年には全仏オープンを制して女子史上10人目の生涯グランドラムを達成し、ロンドン五輪では銀メダルを獲得。その後も故障に悩まされながら、2014年の全仏オープンで再び頂点に立った。

 今年の全豪オープン(Australian Open Tennis Tournament 2016)で行われたドーピング検査で、自身の検体が禁止薬物のメルドニウム(Meldonium)に陽性反応を示したという衝撃の事実を公表したシャラポワは、同大会の準々決勝でセレーナに敗れており、その後も故障の影響でツアーを欠場している。(c)AFP