【2月4日 AFP】私は休暇に、トナカイの遊牧民の写真を撮影するために氷点下の中、モンゴルの辺境地へと向かった。12日間の旅程のうち、荒野の移動に8日を費やしたが、それは素晴らしい旅だった。

 私とガールフレンドは共にフォトグラファーだ。だから休暇が取れるとわかったときに、魅力的な写真が撮れる、冒険にもなるような、モンゴルのどこかへ行こうと思った。

 いろいろと調べたところ、北部にトナカイの遊牧民がいることを知った。モンゴルのトナカイ遊牧民の数は減り、彼らは最後に残ったグループの一つだった。何千年も続いてきた遊牧生活の伝統を維持していくために、多くの問題にも直面していた。

オルツのそばでトナカイに乗る少年。(c)AFP/Greg BAKER

 彼らは、モンゴル語で「ツァータン(Tsaatan、トナカイをもつ者の意)」と呼ばれる少数民族で、乳や移動手段をトナカイに依存している。しかし、気候変動の影響は彼らの暮らし方にも及び、環境保全を目的とした政府の規制によって、彼らがこれまで遊牧していた地域の一部が、現在では立ち入り禁止になっている。立ち入り禁止区域となった遊牧地もある。野生動物の狩猟が禁止されたことで、彼らは肉を買わざるを得なくなり、もはや自給自足できなくなった。さらに、若い世代は現代的な生活に魅力を感じている。

 このように、彼らをめぐる物語は興味深く、自然環境も美しかった。私たちはそこへ向かい、写真を撮ることに決めた。私の恋人のマドカは、彼らのポートレートを撮影しようと、照明機材を準備した。私は彼女の照明アシスタントをしていない時に、もっとニュース性のあるものを撮影するつもりだった。

 とはいえ、まずは彼らのもとへ行かないといけない。モンゴル北部のロシア国境に近いタイガ(針葉樹林帯)で、彼らは放牧している。周りにはまさに何もない場所だ。

 だがそこへ行くまでの道のりは、場所そのものと同じくらい素晴らしかった。

 そのような辺境の地へ向かうときは、万全の準備をしなくてはならない。モンゴルのAFPの契約ジャーナリスト、ハリウン・バヤルツォグト(Khaliun Bayartsogt)がいろいろと手はずを整えてくれたが、私たちは遊牧民のキャンプ地までの4日間の道なき道の移動のために買いだめしなくてはならなかった。現地滞在中や帰りの道のりの分も必要だった。モンゴルの首都ウランバートル(Ulan Bator)に飛行機で到着した日、私たちはその日の残りの時間をすべて買い物に費やした。

 その期間の大半がテント暮らしになるのだから、寝袋や簡単に食べられるようなものが必要だった。ウランバートルで最近人気のある、韓国のラーメンや加工食品、米やパスタも購入した。自分たちの分に加え、遊牧民たちにあげる分も買った。彼らがこうしたものを必要としていることを知っていたからだ。結局、2人で運ばなければならないほど大きな荷物になった。

 まずは、ムルン(Murun)という町まで13時間のバスの旅だった。そこでロシア製の四輪駆動車「UAZ(ワズ)」に乗ったドライバーに出迎えられた。この車は私が今までに乗った中で、最もクールな車の一つだった。一見何の変哲もない普通のバンのように見えたが、どこにでも乗り入れることができ、大きな働きをしてくれた。

モンゴルのハトガルからツァガーンノールに向かうロシア製のバン「UAZ(ワズ)」。(c)AFP/Greg Baker personal collection

 ムルン北部には道と呼べるようなものはほとんどない。私たちはオフロードを2時間走り、フブスグル(Khovsgol)湖の沿岸に位置するハトガル(Khatgal)に到着したときには夜中だった。バンにはサンルーフがあり、私たちは道中、流れ星を見ることができた。流れ星は、低空をあっという間に通り過ぎた。世界のほかの場所ならニュースになりそうなものだが、モンゴルの辺境の地で流れ星に気を留める人はおそらく、ほんのわずかしかいないだろう。

 私たちはその夜、モンゴル式の丸いテント「ゲル」で過ごした。断熱がとても利いていて、外は氷点下に近かったのに、ゲルの内部はとても暖かかった。

 翌日とその夜は湖で休み、絶景を見て回った。そしてその翌日、私たちは再びバンに戻り、オフロードを9時間走った。それは素晴らしい体験だった。

 私たちは急勾配の山を越え、岩の上を走り、川を横切った。干上がった川底を15~20キロ走ったこともあったが、それは実際のところ、この旅で最も楽な区間だった。川を渡るためにバンをいかだで浮かせなければならなかったこともあったのだから。

川を渡るために、いかだに載せられるロシア製のバン「UAZ(ワズ)」。(c)AFP/Greg Baker personal collection

 またもロシア製のバンが威力を発揮した。モンゴルには、日本製や韓国製のもっと高性能で複雑な四輪駆動車があるが、ドライバーたちはシンプルなUAZを好むと思う。何もない場所で故障しても、簡単に修理できるからだ。私たちはついに、小さな町ツァガーンノール(Tsagaan Nuur)に到着した。小さな家にホームステイし、シャワーもなく寝袋で寝たが、少なくとも屋根のある場所で一夜を過ごすことができた。

 翌朝、私たちは目的地までの最後の行程を進むために、馬に乗る必要があった。

 私とマドカ、ハリウン、馬のガイドに運転手の計5人。馬のガイドが2人必要だったため、運転手にも同行してもらった。私たちはそれぞれ馬に乗ったが、かばんや装備などを運ぶための動物もほかに必要だった。そこで馬のガイドが牛2頭を準備してくれた。馬に乗って草原を4時間半進み、ツァータンの人たちが野営している森林に入った。

羊やヤギを連れて山道を移動する遊牧民たち。(c)AFP/Greg Baker personal collection

 牛には冷や冷やさせられることもあった。私たちのカメラは牛の背中に載せたかばんに入れてあったのだが、牛たちが横道にそれることが時折あったため、すべての荷物が木に引っ掛かって落ちたこともあった。幸い、詰め物で保護していたので、カメラに損傷はなかった。

 私たちが到着すると、人がたくさんいた。この場所は観光客によく知られており、すでに12~15人ほどの外国人がいた。前日は3、4人だったが、私たちと同じ日に二つの団体が到着したため、いつもより多い人数がいたのだという。私は撮影について心配になった。6、7世帯から成るとても小さな野営地なのに多くの観光客がいる。外国人が入らない写真を撮るのは難しいように思えた。

 だが、最初の夜に幸運は訪れた。その夜はとても寒くなり、朝には水のペットボトルが凍っていたほどだった。観光客らは寒さに耐えかね、朝にはみんな去って行った。

野営地で朝を迎えるトナカイ。(c)AFP/Greg BAKER

 遊牧民たちは、私たちのためにテントを設営してくれた。それはオルツと呼ばれる移動式住居で、ゲルと違い断熱性はなかった。私たちは朝、そのことを実感した。

 床に就いた時は、ストーブがまだついていて、ぬくぬくと暖かかった。だが早朝3時ぐらいに火が消え、凍えるほど寒くなった。それでも、遊牧民が越さなくてはならない極寒に比べたら大したことはなかった。私たちが経験したのは、おそらくマイナス2、3度だが、冬の夜はマイナス40度以下にまで下がる。

 私は到着してすぐには撮影しなかった。初日は人々を知ることに費やし、ハリウンが通訳を務めてくれた。ほかの観光客を以前に連れてきたことがあるドライバーと馬のガイドは、家族の人たちとすでに顔なじみになっていたので、彼らも助けになってくれた。翌日、撮影に出かけた際、多くはジェスチャーでコミュニケーションを取ったのだが、ジェスチャーで驚くほど通じた。

トナカイに乗る少年。(c)AFP/Greg BAKER

 翌朝、私は遊牧民らが動物を連れ出す準備をする様子を見て回った。彼らの中の1人が、私のカメラを見つけるや否や、私についてくるよう合図した。後になって知ったのだが、彼はガンバット(Ganbat)という名前だった。彼は20頭ほどのトナカイを連れて行った。遊牧民はトナカイに食事をさせるための新しい場所を求めて毎日、森の中を探し回る。私たちが森の中に入ると、彼はうめき声と「シュー」という声の間の音を出して、トナカイたちの方向をコントロールした。

 私たちは夜明けの8時ごろに出発し、約1時間歩いた。ガンバットは、走ることはできないが自由に歩ける程度にトナカイの足を縛った。トナカイは飼いならされているため、群れから離れることはほとんどなかった。私は写真を撮り、ガンバットはトナカイを森に置いてキャンプへ戻った。昼頃、トナカイを迎えに来るつもりだという。

 その日の午後、私たちは翌朝もトナカイを連れて一緒に出かけることを、ジェスチャーを使って約束した。

 翌朝、ガンバットはまたトナカイを連れ出した。トナカイが食べている一方で、彼は丘を登り、私たちについて来るよう合図した。彼は小さなモミの木の枝を集め始め、日が丘の上に昇った頃には、小さな火を起こしていた。そして、持ってきたミルクやビスケット、たばこを宙に投げだした。ハリウンが一緒に来ていなかったため、何が起きているのかわからなかった。何らかの儀式であることはわかったが、詳細は不明だった。

亡き母を弔う儀式をするガンバット。(c)AFP/Greg BAKER

 キャンプに戻ってから、彼は何年も前に亡くなった母親のために儀式を行っていたのだとわかった。彼は、その儀式に私を招待してくれたのであり、私はそれを光栄に思った。その旅で最も記憶に残る思い出のひとつだ。

 もう一つの思い出は、夜明けの、美しく金色に輝く朝焼けにキャンプが包まれるなか、ガンバットの妻がトナカイの乳を搾っていた場面だ。最後の日、ガンバットと彼の息子たちはトナカイに乗ってキャンプを出て、ツァガーンノールに向かった。息子たちはそこで1週間、学校に通うのだ。

トナカイを連れた少年たち。(c)AFP/Greg BAKER

 長い旅だったが、人里離れた美しい場所に行き、伝統を守ろうと頑張っている人たちに会うことができたのは素晴らしい経験だった。(c)AFP/Greg Baker

このコラムは中国の首都・北京を拠点とするAFPのフォトグラファー、グレッグ・ベーカー(Greg Baker)が執筆し、2015年12月23日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

トナカイの遊牧民「ツァータン」の女性とトナカイ。(c)Madoka Ikegami