【12月8日 AFP】多くの笑顔、そして驚くほど話したがる人々──ミャンマーの先日の選挙は、私の中でこのように記憶されるだろう。アウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)氏率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)が圧勝し、50年以上にわたった軍政に終止符が打たれた歴史的な選挙だった。

 祖国ミャンマーの選挙はこれまでにも取材してきたが、投票所を去る際に人々が笑顔を見せる姿は目にしたことがなかった。だが11月8日、投票後の多くの人々は満面の笑みだった。

ミャンマー、ヤンゴンで微笑みながら総選挙の投票を行う有権者(2015年11月8日撮影)。(c)AFP/NICOLAS ASFOURI

 投票所の外では早朝5時から列ができていた。老若男女、家族や友達と一緒に来ている人が多く、通りに列を作っていた。彼らの表情は決然としていたが、直前になって投票が妨害されることを恐れているかのように、不安も入り混じっていた。

 そして投票用紙を箱に入れ終わると、彼らは喜んで自分の選択を記者たちに語った──「スー母さん」。スー・チー氏はミャンマーの人々から愛情を込めてこう呼ばれている。

 この選挙のためにミャンマーへ押し寄せたメディアに対し、口を開きたがらない人も多少はいたが、多くの人が自分の投票についてオープンに語ったことに衝撃を受けた。私が話したほぼ全員が、スー・チー氏のNLDに投票していた。結局NLDは3分の2の議席を獲得して両院の主導権を握り、次期大統領を選出できる立場となった。

アウン・サン・スー・チー党首の絵が描かれたミャンマー、ヤンゴンの国民民主連盟(NLD)本部(2015年11月13日撮影)。(c)AFP/NICOLAS ASFOURI

 スー・チー氏が連邦議会議員に選出された2012年の補欠選挙でも、投票所の外で自分の支持政党や実際の投票について口を開く人は一人もいなかった。さらに前回2010年の総選挙といえば、まだ完全に軍政下で、国内の記者たちは投票所に行って取材することも有権者に話を聞くこともできなかった。軍政はメディアを案内する部隊を組織し、私は政府の「番人」たちに囲まれながら選挙取材を行った。

 あれから5年で多くのことが変わった。11月8日、世界中から押し寄せた報道陣は、最大都市ヤンゴン(Yangon)中心部の小さな学校で投票しようとするスー・チー氏の周りに集まった。世界のカメラが長年の軍政下を生き抜いた民主化運動を今も象徴するスー・チー氏の一挙手一投足を撮影した。

ミャンマー、ヤンゴンで総選挙の投票所に到着した国民民主連盟(NLD)アウン・サン・スー・チー党首の車を囲む報道陣と群衆(2015年11月8日撮影)。(c)AFP/NICOLAS ASFOURI

 軍政に対する非暴力の抵抗と、理想のために払った犠牲により、スー・チー氏は国内外で尊敬を集めている。民主化運動を率いるために1989年、2人の息子を英国に残して祖国に帰ってきた。帰国から20年間のうち15年近くは、自宅軟禁下に置かれた。自由な状態のスー・チー氏を見るたびに、軟禁からついに解放された日のことを思い出す。

 2010年9月、国際社会から茶番だとみなされていた選挙へ向けて軍政が準備していたとき、私はスー・チー氏の軟禁が選挙後に解かれるはずだということを嗅ぎつけた。連絡をとった情報源数人のうち二人が、スー・チー氏が解放されたというニュースをその月の終わりにも発信できるだろうと認めた。

 2010年11月13日、情報源から聞いていた時間に私はスー・チー氏の家の近くに陣取った。解放の瞬間を報じる前に逮捕されたくなかったので、最初はあまり近づきすぎないようにした。両手には電話を1台ずつ持っていた。一つは、家の中で何が起きているかを逐一報告してくれる情報源用。もう一つは、速報を発信する支局長とつながっていた。私は結局、2時間、通話したままだった。そして午後4時には、スー・チー氏の家に続くバリケードの前にいた。

ミャンマーのヤンゴンで、長年にわたる自宅軟禁から解放された直後、支持者に手を振る国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー党首(2010年11月13日撮影)。(c)AFP/STR

 午後5時過ぎ、彼女は自由の身となった。不意に家を囲んでいたバリケードが撤去され、集まっていた支持者たちが喜びに酔いながら家へと駆け寄った。その波に乗って私も一緒に走った。スー・チー氏をこの目で見て彼女の言葉を聞くために、最前列にいる必要があった。

 ついにスー・チー氏が姿を現したとき、辺りは薄暗くなっていたが、とにかく短い動画を撮った。映像は暗く、私の手は震えていたが、それでも家を取り囲んでいたフェンスの背後に現れた彼女の最初の姿を撮ることができた。

ミャンマーのヤンゴンで、長年にわたる自宅軟禁から解放された直後、支持者が集まる自邸入り口へ向かって歩く国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー党首(右から2人目、2010年11月13日撮影)。(c)AFP/STR

 スー・チー氏は笑顔で群衆にあいさつし、フェンスの上から身を乗り出した。そして支持者の一人が渡したブーケを受け取った。「皆さんが私を歓迎し、支持してくれてうれしいです。いずれ踏み出すべき時は来るでしょう。その時が来たら、沈黙したままではいけない」と彼女は言った。「私たちは一致団結しなければなりません」

ミャンマーのヤンゴンで、長年にわたる自宅軟禁から解放された直後、支持者が集まる自邸入り口に姿を見せ、花束を受け取る国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー党首(2010年11月13日撮影)。(c)AFP/Soe Than WIN

 あれから5年。解放の瞬間から11月8日の圧勝によるNLDの勝利宣言まで、スー・チー氏が旅してきた道のりは長かったし、今回の勝利にもかかわらず、議会が大統領を選ぶまで彼女にはまだ長い道が続いている。ミャンマーの現行憲法では、外国人と結婚している人物や、外国籍のパスポートを所持する子どもがいる人物には、大統領になる資格が認められていない。スー・チー氏の亡き夫も、二人の息子も英国人だ。

 こうした障害があっても、自分にはミャンマーを統治していく「計画」があると、スー・チー氏はいう。祖国の中のこうした希望を体現してきたこの女性を、国中が見守っていくだろう。ミャンマー人はよく「私たちは最善を願いつつ、最悪の事態にも心構えしている」という。これから数か月は、投票した人々を笑顔にしたあの選挙と同じくらい、取材が楽しみなものになるだろう。(c)AFP/Hla Hla Htay

この記事はミャンマー、ヤンゴンを拠点とするAFPの記者、ラ・ラ・テーが執筆し、11月27日に配信されたコラムを日本語に翻訳したものです。

ミャンマー最大の都市ヤンゴンの国民民主連盟(NLD)本部前で雨の中、総選挙後最初に発表された公式結果を街頭中継で見て笑顔をみせる同党の支持者(2015年11月9日撮影)。(c)AFP/Ye Aung Thu