【11月25日 AFP】金曜日、すべては1本の電話で始まった。仏パリ(Paris)のAFP本社に詰めていたフォトグラファーは私だけだった。パリ10区で発砲があったと編集者が言う。それしか知らずに現場へ向かった。襲撃かもしれないし、単発の発砲かもしれない。報復事件かもしれない。

 同僚のケンゾー・トリブイヤール (Kenzo Tribouillard)と私は、現場に最初に駆けつけたフォトグラファーたちの中にいた。レピュブリック広場(Place de la Republique)一帯を混乱とパニックが支配していた。あらゆる方向に向かって人が走っていたが、なぜなのか、私たちはまだ知らなかった。乱射だと皆が言っていたが、私は一つも銃声を聞いていない。見えない恐怖と未知の出来事に対するパニックに襲われた。

 

仏パリのカフェ「ボン・ビエール」の前の歩道に倒れ込んだ人(2015年11月13日撮影)。(c)AFP/ANTHONY DORFMANN

 

 突然、警官に押され、通行人の一群と一緒にレストランの中へと押し込まれた。そんなところにいるつもりはない、通りに出て仕事を続けたかったが、どうしようもなかった。警官たちは皆を危険から遠ざけるよう命じられており、私の話など一切聞こうとしなかった。

 そのレストランの地下で足止めをくらったまま優に30分が過ぎ、私は交渉の末に何とか自由を得た。警官たちは極度に緊迫した様子で、私をなかなか立ち去らせてくれなかった。通りに戻り、その場を支配していたパニックを伝えるために、レピュブリック広場や周辺の写真を撮った。救急隊も通行人も四方八方へと走っていた。

 

仏パリのレピュビュリック広場周辺で爆発か発砲によると思われる音が発生した後、急行する救助隊(2015年11月13日撮影)。(c)AFP/DOMINIQUE FAGET

 

 その間にあの夜、パリで何が起きていたのか、さらに情報が入ってきた。私のいる場所からそう遠くない位置にある劇場「バタクラン(Bataclan)」では人質がとられ、死者も出ていることを知った。

 その現場一帯は警察が非常線を張って封鎖していたが、何とかその中へ潜り込んだ。私が陣取った劇場に近い場所からはほぼすべてが見渡せたので、そこから動かないことにした。もしも動けば、何か重要なことを見逃すか、そのエリアから追い出されそうだった。その場に5、6時間とどまり、逃げ出すことができた人たちの写真を撮った。

 

仏パリ中心部にある劇場「バタクラン」近くから救急搬送される負傷した女性(2015年11月13日撮影)。(c)AFP/DOMINIQUE FAGET

 

■戦争とは──

 この数日間、多くの人々が「戦場のような光景だ」「戦争状態だ」「戦場の医療現場のようだ」と言うのを聞いた。だがここは正確に捉えなければならない。

 11月13日の金曜日、私たちはパリで起きた一連のテロ攻撃の目撃者となった。無差別殺りくだった。第二次世界大戦以降のパリが受けた最悪の攻撃だ。だが、これは戦争ではない。

 

仏パリ中心部にある劇場「バタクラン」近くで待避する報道陣(2015年11月13日撮影)。(c)AFP/DOMINIQUE FAGET

 

 戦争とは──私がレバノンやチャド、最近ではウクライナ東部で取材したように──毎日、死の恐怖にさらされながら暮らすことだ。安全な場所が常にどこにもない中で、いつ死ぬか分からない仮の時間を生きることだ。街全体に降り注ぐ銃弾や砲弾のせいで、人が次々と死んでいくさまを見続ける毎日だ。遺体を収容するために外へ出れば自分たちも危ない目に遭うから、街中に遺体を転がしたままにしておくことだ。

 戦争とは、いつ何時、狙撃手の弾に当たるか分からない状態のことだ。戦争とは、世界の紛争地を走り回っている、制止できない狂気の餌食になることだ。

 戦争だったら、警察をあてにしても安全は確保できない。戦争だったら、何千人もの難民が通りにあふれるだろう。「戦場の医療」とは、普通の状況なら救える手足を、極限状態で緊急に切断しなければならない状況のことだ。

 

仏パリ郊外サン・ドニにあるスタジアム「スタッド・ド・フランス」外の飲食店で現場検証を行う鑑識班(2015年11月14日撮影)。(c)AFP/FRANCK FIFE

 

 もちろん、ある意味では、これは戦争だろう。フランスはテロリズムとの戦いの渦中にある。イスラム過激派組織「イスラム国(Islamic StateIS)」は私たちに対し、宣戦布告した。政治的な意味ではそれは戦争であり、ほとぼりが冷めぬ中、11月13日のパリについて語るとき、多くの人が「戦争」という言葉を使いたい衝動に駆られるだろう。

 だがパリでは、本当の戦争とは違い、警察も救急隊も自分たちの仕事ができる。周辺の安全を確保し、通行人を守り、負傷者を手当てし、死者を何日も通りに放置したりせず適切な場所へ移すことができる。

 

仏パリ・シャロンヌ通りにあるカフェ「ラ・ベル・エキップ」の隣の日本料理店で、窓に残る銃痕に「いったい何の名の下に?」と書かれたカードと一緒に差し込まれたバラの花(2015年11月14日撮影)。(c)AFP/LOIC VENANCE

 

 11月13日、事件の渦中にあったあの夜でさえ、襲撃されなかったほとんどのビストロやレストランは平常通り営業し、パリ市内の残りの地域はまったくいつもと変わりなかった。惨劇から2日後には、人々の生活は普段に戻っていた。

 私たちフォトグラファーは、極めて感情的な、辛い場面を目撃することが多い。だが、ひとたび起こった襲撃事件に、それ以上の危険はない。戦時下では、まったく違う。戦争ならば、防弾ベストやヘルメットを着用し、自分が標的にされることを常に恐れているだろう。

 パリのテロ事件は間違いなく悲劇だが、私は戦争という言葉を使いたくない。戦争とは毎日、何週間にもわたって、こうした大虐殺が続くことだ。パリに悲劇をもたらした者たちは、まさしくそれを望んでいるだろう。だが、幸運なことに、パリは「戦争」じゃない。(c)AFP/Dominque Faget

この記事は仏パリを拠点とするAFPのフォトグラファー、ドミニク・ファジェが執筆し、11月15日に配信されたコラムを日本語に翻訳したものです。