【11月18日 AFP】(記事更新)ラグビー元オールブラックス(ニュージーランド代表)で、ラグビー界のレジェンドでもあるジョナ・ロムー(Jonah Lomu)氏が18日、40歳で急死した。家族とニュージーランド・ラグビー協会(NZRU)が発表している。

 ラグビー界では初めてとも言える世界的なスーパースターで、そのスピードとパワーで対戦相手を恐怖に陥れたロムー氏が、突然この世を去った。

 家族に代わって発表したジョン・メイヒュー(John Mayhew)氏は、自宅で息を引き取ったと明かした。ロムー氏には妻と2人の息子がいる。

 国内テレビ局の「TV3」に対してメイヒュー氏は、「ジョナ・ロムー氏が今朝、この世を去ったことを発表します。本当に突然の出来事でした。ジョナは昨晩、家族とともに英国から戻ったばかりでした」と話し、泣き崩れた。

 NZRUの最高経営責任者を務めるスティーブ・チュー(Steve Tew)氏は、オールブラックスのツイッター(Twitter)で、「ジョナ・ロムーの突然の死に、みなショックを受け、深い悲しみに包まれている」と話した。

「ジョナはわれわれの伝説であり、ニュージーランド国内はもちろん、世界中で多くのファンに愛されていた」

 ニュージーランドのジョン・キー(John Key)首相も、「ニュージーランド中の思いは、彼の家族とともにある」と哀悼の意を示した。

 ロムー氏は、1995年から2002年にかけてオールブラックスでウィングとしてプレーし、テストマッチ通算63試合で37トライを記録している。

 1995年のラグビーW杯南アフリカ大会では、スピードとパワーを兼ね備えた選手として対戦相手に衝撃を与え、一気にスター選手の仲間入りを果たした。身長196センチ、体重120キログラムの体格ながら、全盛期には100メートルを10秒8で駆け抜けた。

 その一方で、1995年にまれな腎臓の病気、ネフローゼ症候群と診断されたこともあって、代表での活動を長く続けることはできなかった。その後もロムー氏は亡くなるまで、20年近くにわたって闘病生活を続けていた。

 それでもロムー氏は、W杯で確かな足跡を残した功績をたたられえ、ラグビーの殿堂入りを果たしている。

 競技の統括団体であるワールドラグビー(World Rugby)のベルナール・ラパセ(Bernard Lapasset)会長は、2013年に放映されたドキュメンタリーのなかで、プロ化の容認というラグビー史の重要な転換点において、ロムー氏が競技に革命を起こしたと話している。

「当時のラグビー界が、メディアへの露出やスポンサーからの認知を必要としていたなかで、ロムーはプロのラグビー選手として最初に脚光を浴びた選手だった」

「プロ化という競技の流れと、そこへ彗星(すいせい)のごとく現れたジョナ・ロムー。ラグビーの未来を照らすのに、これ以上の組み合わせはなかった」

 ロムー氏はその後も、世界で最も有名なラグビー選手の一人であり続け、最近は英国に滞在し、先日閉幕したW杯イングランド大会(Rugby World Cup 2015)のPR活動などを行っていた。(c)AFP