【12月12日 AFP】死んだガンを見たのは、午後5時のことだった。1枚の写真では若い男がガンにぶら下り、頭をもぎ取ろうとしていた。別の写真の若者は、ちぎり取ったガンの頭と20~30センチの首をつかみ、レケイティオ(Lekeitio)港の水中から得意げに持ち上げていた。

 私は、この写真を撮った男に電話した。スペイン北部バスク(Basque)自治州にいるAFPのフォトグラファーだ。
「やあ、ラファ。ナイスなガンだね」
「え?ああ、それか。今、『ガンの日』の祭りを撮影しに来ているんだ」
「なるほど。それで、これは……」
「コンテストは終わりだ。みんな港の周りに立って酔っ払っているよ」
「そうか。それでこのガンは……?」

スペイン・バスク自治州レケイティオ村の『ガンの日』の祭りで、港に渡したケーブルに吊るしたガンの死骸にぶらさがる若者(2006年9月5日撮影)。(c)AFP/RAFA RIVAS

 ラファはじっくり説明してくれた。海面の上にぴんと張られたケーブルに死んだガンを吊るし、祭りの参加者たちがこぎ舟から伸び上がって、ガンの頭を素手でむしり取ろうとする。港の両岸からはそれぞれのチームがケーブルを上下に揺さぶる。自分が降り落とされる前にガンの首をもぎ取り、海中に潜ってその首を取って来れれば、それを家に持ち帰ることができる。それは、私がスペインで出会った最も奇妙な伝統行事の一つだった。

 だが4年間のスペイン赴任中、その数え切れないほどの屋外行事や催しの趣向と馬鹿さ加減に、私は慣れていった。英バンド「マッドネス(Madness)」の曲「アワ・ハウス(Our House)」を引用するなら──スペインには群衆がいる。そこではいつも何かが起きていて、いつもばか騒ぎだ。

スペイン・バスク自治州レケイティオ村の『ガンの日』の祭りで、港に落としたガンの首を潜って拾い、誇らしげに掲げる若者(2006年9月5日撮影)。(c)AFP/RAFA RIVAS

 スペイン北部のロセス(Roses)では、海に飛び込んでカモを追いかけるという行事がある。スペイン全土の地方部では7月、村人たちがたき火をつくって炎を飛び越え、熱い炭の上を歩いたり、悪魔やドラゴンに扮して通りで暴れ回ったりする。 

 首都マドリード(Madrid)では、ビルほどの高さがある中世風の人形が街をパレードし、プエルタ・デル・ソル(Puerta del Sol)広場にずらりと並んで踊る様子を、ベビーカーの中から私の子どもたちが口をぽかんと開けて見ていた。マドリードの中心部ではローマ神話の神、シベーレス(Cibeles)とネプチューン(Neptune)の像が、通りがかるドライバーたちに、かつてここを支配した者を思い出させようとしている。

 復活祭(イースター)のときには、目のところだけ穴が開いた、先のとがった緑や赤のフードをかぶった人々が、血を流すキリスト像と白い顔のマリア像を担いで通りを練り歩く。

スペイン中部サンバルトロメ・デピナレスで行われる聖アントニオ祭で、たき火を飛び越える人馬(2014年1月16日撮影)。(c)AFP/Gerard Julien

 キリスト教のものより古くみえる慣習もあるし、スペインは闘牛発祥の地だからといって、競技場での殺生を考え出したわけでもない。

3月のバレンシア(Valencia)の「ファリャ(Falla)」の祭りでは、地元の人々が木と紙粘土で巨大な人形をいくつも作り、花火を打ち上げながら、その人形たちを燃やす。観光客向けのパンフレットには、起源は中世にまでさかのぼり、大工たちが余った木材を燃やしていたと書いてある。人々はそれよりももっと前から、春にいけにえを燃やしていただろう。また火がついた松明(たいまつ)を牛の角に縛りつけ、その牛たちを放す慣習がある村もある。その伝統は何千年も前にさかのぼるという。

 東部ブニョール(Bunol)で毎年開催されるトマト祭り「トマティーナ(Tomatina)」も取材した。これは20世紀に入ってから始まったようだ。フード付きのジャケットを着て、トマトのぶつけ合いが開始するのを待っていた私は、傍観者として楽しみながら自分の故郷、北イングランド特有の行事を思い出していた。それは、油を塗った棒をよじ登る競技だった。群衆の中に高さ数メートルの棒を立て、その先に賞品として巨大なハムがぶら下げられる。スーパーヒーローの衣装を着た若い日本人男性が、それをつかみ取ろうとよじ登っていた。彼はあえなくずるずると滑り落ち、祭りの仲間たちから大きな笑い声が上がった。

スペイン・バレンシア近郊ブニョール村のトマト祭り「トマティーナ」で、どろどろになったトマトをかけられる人(2014年8月27日撮影)。(c)AFP/Gabriel Gallo

■あらゆる世代の庶民が主役、反緊縮財政デモ

 だが、スペインが経済危機に襲われると、屋外の集いも暗い役目を担うようになった。私は多くの夜を「ソル」と呼ばれるマドリード中心部の広場、プエルタ・デル・ソルで過ごした。この広場とそこから国会議事堂まで続く道が、スペイン最大の催しの舞台となった。あらゆる世代のスペインの庶民が主役を演じた、反緊縮財政デモだ。

 スペインのさまざまな祭りに集まる群衆は、私にはのんきな人々に思えていたが、あのデモの日々の夜、彼らは給与削減や解雇、腐敗に対する激しい怒りをあらわに叫んでいた。

 ある夜、私はサン・ヘロニモ通り(Carrera de San Jeronimo)で、はげ頭の穏やかそうな男性から目が離せなくなった。デモの喧騒の中、ヘルメットのバイザーを下ろした機動隊相手に彼は怒鳴っていた。時刻は午前2時だったが、彼も警察も引き揚げる気配がなかったので、私も家に帰らなかった。

 別の夜には議事堂近くで警官隊が警棒を手に、群衆や記者、パーカーを着た若者たちなどをプラド通り(Paseo del Prado)まで追いかけていた。若い女性たちが足に警棒を打ちつけられながら、走って逃げていた。

 暑い夏の夜には、何千人もの群衆が真夜中過ぎにマドリードの大通り、グランビア(Gran Via)に並び、ヘルメットをかぶって到着した炭鉱労働者の一行を大歓迎した。彼らは炭鉱閉鎖に抗議し、数百マイル離れたスペイン北部から歩いて来たのだった。30年前の英国の炭鉱労働者たちと同じように、彼らの仕事は滅びかけていた。やることのなくなった彼らには、歩くしかなかったのだ。

 何千人ものマドリードっ子たちが、まるで優勝したサッカーチームを歓迎するみたいに街へ繰り出した。炭鉱労働者たちのチームは真夜中にソルにたどり着き、翌朝またサッカースタジアムのベルナベウ(Bernabeu)へ、そしてその先へと歩きだした。彼らと一緒に歩いているうちに日射病気味になり、地面に腰を下ろしてしばらく休んでいると暴動が起きた。

■街角のドラマ

 日曜の朝にはよく眠い目をこすりながら、ベビーカーを押してレティーロ公園(Parque del Retiro)を回り、人形劇をやっていると足を止めた。ミニチュアのステージ上でも、同じ社会ドラマが繰り広げられていた。働き者の人形が、自分たちを騙し、盗み取っていった悪魔や金持ちの悪党の人形を追いかけ、懲らしめるのだ。

 その人形劇は平日も、最高裁の真向かいにある我々AFP支局の前の通りで続いていた。そこには経済危機の最中、詐欺や横領を働いた銀行家や官僚たちが最高裁へ出廷すると怒れる群衆が集まった。国際通貨基金(IMF)の専務理事も務めたロドリゴ・デ・ラト(Rodrigo de Rato)元副首相が車から降りると、彼らは「泥棒!ろくでなし!」と叫んだ。

 他の場所では、郊外のアパートの玄関に抗議グループがいくつも座り込んで、退去を迫る警察や差し押さえ執行官を待っているという光景もあった。群衆は「この野郎ども!」と叫んだ。それはまるでパントマイムのようだった。だが経済危機の中で、ほとんどの人は劇場へ行く余裕などなかった。サッカーの試合も、映画も。彼らにとって、ドラマ、悲劇、ゴールの瞬間は、街角で起きた。

 友人が手首にサポーターをはめて私の家に来た。デモの最中に身分証明書の提示を拒否したら、警官に腕を後ろ手にひねられ、手錠をかけられたのだという。病院はサポーターを一つしかくれなかったため、出廷の日を待つ間、彼はサポーターを交互にはめていたという。「まあ、仕方ない」と彼は肩をすくめた。

 デモ隊の声を聞いた者がいたかどうかは、まったく分からない。支出削減と労働改革は断行された。デモが追い払われ、ネプチューン像の周りの交通が元に戻ると、あの光景はどこにも残っていなかった。

スペイン・バジャドリードで「15M」運動が組織したデモの最中、シングルマザーの強制立ち退きが中止されたことを喜び、「立ち退き反対」の横断幕を窓から垂らす女性たち(2014年1月30日撮影)。(c)AFP/Cesar Manso

 2013年から経済成長に関する数字は回復し始め、抗議運動は次第に減少した。まだ労働力の5分の1以上が失業していたが、タクシーの運転手たちからは、木曜の夜に外出する人が増えたと聞いた。週末を早く始める人が増えたということで、これは、私たちが経済記事で書きたいと思うような景況感を測る主要指標だ。映画館に並ぶ列も長くなったように見えた。

 外国人特派員は、アクションの真っただ中にいたとしても、結局は自分が傍観者でしかないことを自覚している。部外者は決してすべてを理解したという確信は持てない。だが、そこで見た光景は、重要ではないのかもしれない。その水面下で、起きていることが重要なのだ。何かが変わっていた。保守的な与党は「危機」を乗り越えたと勝利を宣言したが支持率は落ち、対抗勢力の新政党が支持率を伸ばした。

 スペイン赴任中の4年間に見たさまざまな光景は、私を変えた。地中海の日差しの当たる場所で初めて暮らし、人生のあるべき姿をそこで見た──空の下で過ごし、歌い、叫ぶ。少しだけ自分が地中海の人間になり始めたような、いい気分がしていた。少しだけ心が温かくなり、前よりも利己的でなくなり、社交的な人間になった気がした。これから南米へ赴任するときには、この気分を一緒に持って行きたい。

スペイン・バレンシア近郊のブニョール村のトマト祭り「トマティーナ」で、楽しそうにトマトを投げる人たち(2007年8月29日撮影)。(c)AFP/Jose Jordan

 スペインを去る前に、AFPと仕事をしているフォトグラファーの一人、ペドロ・アルメストレ(Pedro Armestre)からメッセージをもらった。彼はいつも牛追いや、デモや、陽気で騒がしい集い、アクションの中心で写真を撮っているフォトグラファーだ。彼は私がスペインでの4年間について感じたことを要約してくれた。「君が見なかった最も重要なことは、君がそれらを感じた、っていうことだ」(c)AFP/Roland Lloyd Parry

このコラムはAFPスペイン・マドリード支局で4年間にわたって取材活動を続けてきた記者ローランド・ロイド・パリー(11月からウルグアイ・モンテビデオ支局に勤務)が執筆し、10月22日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。

スペイン・バレンシア近郊メリアナの牛追い(2015年8月1日撮影)。(c)AFP/Jose Jordan