【10月23日 AFP】朝鮮戦争などで生き別れになった韓国と北朝鮮の離散家族は今週、北朝鮮南東部の金剛山(Mount Kumgang)で行われた再会事業で60年以上の時を経て再会を果たしたが、22日、ついに忘れることのできない別れを告げた。つかの間の再会の喜びは、永久の離別の深い悲しみへと変わった。

 20日に始まった再会行事前半の最終日、離散家族たちに与えられたのは午前中の2時間だった。この最後の別れの時間は双方の家族にとって、全行事の中で最も悲痛に満ちたものだっただろう。とりわけ70~90代の高齢者は皆、恐らくこれが最後の再会となることを十分承知していた。最後の時間を互いにただ寄り添って過ごす人たちもいれば、握手を交わし、涙を拭いながらも毅然としてみせる人たちもいた。

 会場を後にした北朝鮮側の家族がバスに乗り込むと、別れの場面は悲壮な空気に包まれた。北朝鮮側の家族はバスの窓に手や顔を押し付け、表で見送っている韓国側の家族といつまでも目を合わせ続けようとした。

■残酷な時間制限

 今回の再会行事には、韓国側から約400人、北朝鮮側から140人が参加した。離散家族の再会実施は過去5年でわずか2回。互いの接触は、合同会場での団体面会やテレビカメラ抜きの個別面会を含め各2時間、計6回と厳しく制限されている。朝鮮戦争(1950~1953)によって60年以上も離れていた人々にとって、対面できるのが12時間とはあまりに短い。

 北朝鮮にいる叔母と会った韓国人男性、ハン・スンキュ(Han Sun-Kyu)さん(70)は「途切れ途切れの面会ではなく、同じ部屋で話したり、寝起きしたりできればどんなに良かっただろう。食事も他人と一緒の大きなホールではなく、家族水入らずでできれば良かったのに」と話した。

■「記憶しておきたい父の声」

 それでも、再会の機会を待つ何万人もの離散家族の中から選ばれ、再会を果たすことができた参加者たちは幸運かもしれない。離散家族の再会は2000年の南北首脳会談後に本格化したが、以降15年間で参加者の年齢構成は大きく変化した。離散を経験した韓国側の世代の大半が、北朝鮮にいる家族と何の接触ももたないまま、すでに亡くなっている。多くは相手の消息確認もできないままだ。

 再会申請名簿の登録者の死亡率が年々上昇していることから、多くの人々が再会行事の参加者に選抜されることをあきらめ、自分の死後でも接触できるようにと、ビデオメッセージの録画やDNAサンプルの提出といった手段をとっている。

 韓国人女性のイ・ジョンスク(Lee Jeong-Sook)さん(68)は、北朝鮮に住む父親、リ・フンジョン(Ri Hong-Jong)さん(88)の声を記憶しておきたいと思い、21日の合同夕食会で歌ってほしいと頼んだ。フンジョンさんは韓国の故郷近くを流れる川にまつわる有名な歌を聴かせ、同じテーブルにいた人たちの涙を誘った。

 離散家族再会の前半部分はこれで終了となり、24~26日には別の家族らが再会を果たす予定となっている。(c)AFP