【9月24日 AFP】そうした事件はよく知られているし、これまでも幾度となく報道されてきた出来事だ。しかし今回は違った。何年間もその問題に向き合ってきた者でさえ戸惑わずにはいられなかった。

 毎週金曜日、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸(West Bank)のイスラエル占領地ではイスラム教の礼拝を終えたパレスチナ人たちがイスラエル人の入植に抗議するデモを行う。

 シナリオはいつも同じだ。大勢のパレスチナ人と外国人やイスラエルの活動家たちがパレスチナの村を出発し、拡大し続けるユダヤ人入植地に向かって行進する。これを待ち受けるイスラエル軍。毎回、避けようのない衝突が発生する。一方からは石が投げられ、もう一方からは催涙弾やゴム弾が発射される。まるで、何度も稽古を重ね皆があらすじを心得た舞踏のようだ。

 だが、あの8月28日の金曜日、西岸地区にあるナビサレハ(Nabi Saleh)村では舞踏のルールが変わったように見えた。覆面をした十数人のイスラエル兵たちが身を潜めていた場所から突如、パレスチナ人らの前に姿を現した。

 兵士の一人が、パレスチナの少年ムハンマド・タミミ(Mohammed Tamimi)君(11)のギプスをしていた左腕をつかんだ。

 すべてはほんの3、4分間の出来事だった。だが私の脳裏では瞬間的に起こったように思い起こされる。

 イスラエル軍は後になってこの「ナビサレハでの暴動」に言及し、イスラエル兵に投石したパレスチナ人の中にムハンマド君もいたと説明。「暴力の激化」を阻止するためムハンマド君の身柄を拘束しようとしたと語っている。

 あの時、私は片方の目で自動小銃の引き金にかけられた兵士の手を注視しながら、もう一方の目で現実とは思えない光景が繰り広げられるのを見ていた。私の目の前には男の子がいる。その少年をイスラエル兵が押さえつけ、その兵士に少年の家族たちが飛びかかっていく。

 少年の母親や姉妹たちが「その子は子どもよ!」「まだ幼い子じゃない!」などと叫びながら兵士に迫り、その腕を引っ張り、背中に飛びつき、兵士の覆面を引きはがそうとしたりしている。

 私の頭の中で様々な思いが交錯する。この兵士はなぜ、あの少年にあれほどまで執念を燃やすのだろう?彼が発砲したらどうなる?もし誰かが彼の銃を奪ったら?

 私は、少年のおびえきった表情をクローズアップで撮影した。彼は抵抗しようとしたが岩場に押さえつけられて身動きできない。

 兵士が突きつけた銃の陰に少年の顔が隠れる。少年の腕にはつり包帯代わりにしたパレスチナ男性のヘッドスカーフ「クーフィーヤ」が見える。

 極めて危険な空気が漂っていた。兵士もそう感じたらしい。仲間と離れてしまっていた彼はヘブライ語で叫び続けた。「助けてくれ!」

 イスラエル将校がやってきて2人はヘブライ語で言葉を交わした。彼らの言葉は分からなかったが、将校が少年を放してやれと兵士に言っていることは一目瞭然だった。

 将校が来るのがもう少し遅ければ、間違いなく悲惨なことになっていた。

 幸いにも最悪の事態は回避された。そして私は人々の心に強く訴えかける写真を撮ることができた。

 長年、数多くの写真が撮影されてきてマンネリ化しつつあったストーリーに、私の写真が生身の人間の顔を与えたのだ。(c)AFP/Abbas Momani

この記事は、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸ラマラを拠点に活動するAFPカメラマン、アッバス・モマニが、エルサレムのサラ・ベナイダと共同で書き、8月30日に英語で配信されたコラムを翻訳したものです。