■「パタンのクマリ」として30年

 ダナ・バジラチャルヤさんは、わずか2歳だった1954年にクマリに選ばれ、「パタンのクマリ」として30年間、君臨した。

 ネワール(Newar)族の思春期前の少女から選ばれるクマリは、ヒンズー教の女神タレジュの化身とみなされている。

 選定条件は厳しく、体に傷痕などがあってはだめで、獅子のような胸、シカのような太ももなど、肉体的な特徴もたくさん含まれている。

 カトマンズの「生き神」は、公邸であるクマリの館に移り住まなければならないが、パタンのクマリは家族と暮らすことを許されている。しかし、人前に姿を現してもよいのは、町をパレードしながら人々から崇められる祝日だけだ。

「祭りの間に出掛けるのが一番好きだった」と、パタンの狭い通りに、クマリからの祝福を受けようと信者が並んでいる様子を懐かしみながら、バジラチャルヤさんは言った。

 パタンのクマリは昔から、初潮を迎えると解任されることになっているが、バジラチャルヤさんは、初潮が来なかったため、30代になってもクマリの座に就き続けた。

 しかし、1984年、祭りの最中にバジラチャルヤさんを見たディペンドラ(Dipendra)皇太子によって、彼女は退任することになった。

 当時13歳だったディペンドラ皇太子は、「なぜ、彼女はあんなに年を取っているの?」と質問し、僧侶らに、クマリを若い少女に替えるよう働き掛けたといわれている。

 ディペンドラ皇太子はその17年後に、自身の親族を9人殺害する事件を起こしている。

 30年たっても、突然クマリを解任されたことはつらい思い出だ。「私をすげ替える根拠は彼らにはなかった」とバジラチャルヤさんはAFPに語った。「私は少し腹を立てていた…。女神がまだ自分の中にいるのを感じていたから」