【7月16日 AFP】インドの首都ニューデリー(New Delhi)の衛星都市として急成長しているファリダバード(Faridabad)に移って1年。折に触れ、家畜の群れと一緒に道路の真ん中を歩いている遊牧民たちの姿を見てきた。どこから来て、どこへ向かっているのか、いつも不思議に思っていた。

 3月のある日、車で帰宅する途中にまた遊牧民の一行を見かけた。日曜日だったので、車を止めて写真を撮る時間があった。あいさつをすると、向こうもあいさつを返してくれた。撮り終わって言葉を交わすと、次のキャンプ地に向かっている途中だと教えてくれた。そこで私はその日中に再び彼らの元へ舞い戻り、荷造りの様子を撮影させてもらうことにした。

 その遊牧民の一行はインド西部の砂漠の地、ラジャスタン(Rajasthan)州の出身で、30人ほどの大家族だった。2500頭の羊のために牧草地を探しながら移動する、1年間の長い旅路の途中だった。

 これは内容の濃いフォトエッセーができると思った私は写真をデスクへ送り、取材続行の許可を得た。しかし一つ障害があった。遊牧民たちは常に移動している。しかも幹線道路沿いで野営するのではなく、少し離れた草地にキャンプを張る。毎回、写真を撮る前にまず、彼らを見つける必要があった。

 とはいえ、難しい状況下では、いつも助っ人が見つかるものだ。今回は、遊牧民の一族の一人、マーラさんがその人物だった。他の家族よりもヒンズー語をうまく話せ、要となる携帯電話を持っていた。

 マーラさんは最初、なぜ私が写真を撮ろうとするのか知りたがった。途上で遭遇した空き地にキャンプを構える彼らはいつも、トラブルに巻き込まれることを少々恐れている。だが、いったん安心すると、彼は仲間に私を引き合わせてくれた。また建物などを目印にして、住所がないキャンプ地へ誘導してくれた。

 遊牧民一族との距離を本当に縮めてくれたのは、撮影した写真を何枚かプリントアウトして見せたときだ。彼らは喜び、私をもう少し近づけてくれた。

 一族の中は、4~5人の子どもをもうけている夫婦が大半だった。どの子が誰の子か、すべてを把握できたとは言えない。だが、彼らとの時間が終わりに近づいた頃には、みんなの名前を覚えていた。それから、ロバたちの名前も。