【6月29日 AFP】南アフリカ人のタンド・ホパ(Thando Hopa)さんは、アルビノ(先天性色素欠乏症)に対する偏見と闘うためにモデルになることを決意する日まで、いつも長袖を着て日光を避けながら生きてきた。

 色素の欠乏で肌の色が白くなるこの先天性疾患の患者たちは、時に差別されたり、殺されることまである。だが、アルビノで小柄なホパさんは、ショーモデルの世界に飛び込んだ。

 ノーメイクの白い顔に赤紫の口紅だけ。白い髪をタワーのように立てたホパさんは2013年、『フォーブズ・ライフ・アフリカ(Forbes Life Africa)』誌の表紙に彗星のごとく登場した。「私が撮られた中で最も美しい写真の一つ」だと、ホパさんはいう。色の薄い眉毛は、ほとんど見えない。素顔に自信がもてるようになるまでには何年もかかった。

 ホパさんはヨハネスブルク(Johannesburg)で弁護士として働いている。反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動を率いた故ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)大統領が1950年代に弁護士として働いていた場所からさほど遠くない。「モデルをやらないかと言われたことは過去にもあったが断った。メリットがないと思っていたから」

 しかし、2012年に南アフリカのファッションデザイナー、ゲルトヨハン・クッツェー(Gert-Johan Coetzee)氏と出会い、違うように考えるようになった。「ゲルトに撮影してみないかと言われ、考えてみると答えた」。それから姉妹にそのことを話してみると「モデル業をモデル業として見ないで、アルビノに対する人々の認識を変えるチャンスだと思ったらどうか」といわれた。

 4人きょうだいの3人目として生まれたホパさんは、特に不自由もなく育った。一番下の子もアルビノだった。映画制作者の母親とエンジニアの父親は事あるごとにホパさんに「最も美しい女の子だよ」と語りかけた。

 しかし、アルビノが殺害されたり、その内臓が売買されるといった事件はほとんどない南アフリカでも、偏見や差別には出会った。見知らぬ人が、アルビノは幸運の象徴だと言って抱きついてきたり、反対に縁起が悪いと言って唾を吐かれたりといったことを、ホパさんも経験した。

 アルビニズムの副作用で視力が悪いことを、教師たちは精神的な障害だと決めつけた。字を読むときにはルーペを使い、運転は許されず、ヒールのある靴もはかないようにしている。だから彼女が初めてファッションショーのランウェイを歩いたときは、奇跡のようだった。

「ドレスがゴージャスで……黒と緑色のね。あんなに高価な感じがしたことは今までの人生でなかった。でもヒールを履いて歩いたのは初めてだったから、すごく怖かった。歩きながら『神様、お願いだから、このキャットウォークで転ばないようにして』とつぶやいて祈っていたぐらい」

 自分が他の子と違うことに気づいて落ち込んだときもあった。多感な12歳のときに、男の子を意識し始めたり、自分の体の変化に気付いたりして、父親に泣きついたという。「父に向かって叫んだわ。『どうして私は他の子たちと違うの?みんなが私をからかうの。変な帽子をかぶったり、日焼け止めクリームを塗ったりしなくちゃいけないのは、どうして?』って。父は素晴らしい人だけど、そうした感情にうまく対処できない。父は私を見てこう言った。『正直に話そうと思う。おまえが生まれたとき、私もショックを受けたんだ』」

 自信に満ちた25歳の女性となった今では、笑い飛ばせる思い出だ。「あの日、(アルビノじゃなかったら)自分の人生は変わっていただろうか、人々の反応も違っていただろうか、と思わずにはいられなかった。でも今では、違う姿の自分は想像できない」 (c)AFP/Claudine RENAUD