【6月28日 AFP】私たちはトルコとシリアの国境沿いにもう1週間近くいた。クルド人部隊が、支配権をめぐりイスラム過激派組織「イスラム国(Islamic StateIS)」と戦っているテルアビヤド(Tal Abyad)が見える場所だ。

 トルコのシリア難民180万人に加わろうと、その戦闘から数万人が逃げてきている。このうち1万3500人がテルアビヤド出身だが、それまでの数日間、難民の流入を恐れるトルコ政府は国境を封鎖していた。

トルコ南東部のシリアとの国境の町アクチャカレで、トルコ治安部隊の放水から逃げ回るシリア難民たち(2015年6月13日撮影)。(c)AFP/BULENT KILIC

 事態が急転したのは、6月13日のこと。難民を探して国境近くを運転していた私たちは、多くの人がアクチャカレ(Akcakale)の国境検問所に姿を現したと聞いた。私たちは現場へ向かい、灼熱のなかに群衆がいるのを見た。トルコ軍は放水装置を使い、さらに威嚇射撃を行って彼らをフェンスから離れさせようとしていた。

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 その夕方、私たちはISの戦闘員7~8人がシリア人たちにテルアビヤドに戻れと言っているのを見た。だがその戦闘員たちが姿を消すと、何千人もの人々が再び押し寄せてきた。

 戦闘員たちがなぜ来たのか私にはわからない。メッセージか、パフォーマンスなのか?彼らは私たちが写真を撮っているのを見て、冗談を言ったり、大きなジェスチャーをしてみせたりした。

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 翌日、私たちはアクチャカレの国境検問所を多くの人々が通り抜けてくることを予測していた。だがISが彼らの国境通過を許していないと聞いた。私たちは無駄に待っているように思えた。そして突然、近くの丘に数人の人影を見た。

 ただの地元民だと思ったが、次々と人が現れた。すぐに何千人もが丘の向こうから姿を現し、国境のフェンス前に押し寄せてきた。

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 すべては5分ほどで起きた。それはまるでハリウッド映画のようだった。見たこともない超大作映画のような光景。トルコ側からフェンスに駆け寄り、向こう側のシリア人を助けようとした人々がいた。私も一緒に走っていた。トルコ兵は私たちに向かって叫んでいたが、もう耳に入らなかった。

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 シリア人はフェンスを切るために工具を使っていた。最初は小さな穴だったものが、人ひとり通り抜けることができるぐらい大きくなった。5人、10人が必死になって押し合いながら、その穴からトルコに入った。

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 その後、彼らはフェンスをこじ開け、みんななだれ込んできた。ものすごい光景だった。女性はほぼ全員が子供を抱えていた。とてもたくさんの子供たち──5歳ぐらいでこんな経験をするなんて想像できるだろうか?

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 服が破れた子供もいたが、幸い重傷を負った子はいなかった。フェンスを突破した後には深い堀がある。数十人がよじ登った後、当局はついに彼らが国境を越えるのを助けた。

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 私はシリア・トルコ国境間の難民を撮影して4年近くになる。シリア北部の町アインアルアラブ(Ain al-Arab、クルド名:コバニ、Kobane)での難民危機も見てきた。だが昨日見た光景は違っていた。何千人もが小さな穴からなだれ込んできた、あんな光景はこれまでに見たことがなかった。

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 今回、私は難民に話を聞くことはできなかったが、彼らの目に恐怖を見ることはできた。彼らは叫び、安全を求め押し合っていた。2、3人の子供を抱え、群衆の中で家族が離れ離れにならないよう必死だった。

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 私たちは今、新たな難民の波を待っている。私が立っている場所から、国境をすべて見渡すことができる。フェンスの向こう側では1000~1500人の人々が、トルコ側がフェンスを再び開くのを待ち構えている。クルド人兵士たちが国境に近づいてくるのも見えるし、迫撃砲の音も聞こえる。

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 この難民危機を取材するには、時にルールを忘れることが必要だ。この国境沿いではすべてが変わった。すべてがめちゃくちゃだ。道で探しても難民はいない。

 もちろん、私は法律や軍に敬意を表している。国境近くで仕事をするときは注意深くならないといけない。通常、彼らは私たちをフェンス、つまり国境の線そのものには近づかせない。だが2000人がフェンスに殺到してきたときは、そこにルールなどもはや存在しない。そんな事態になったときは、トルコ当局も私たちに仕事をさせてくれるのだ。(c)AFP/Bulent Kilic

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この記事は、AFP通信トルコ・イスタンブール支局の写真記者ビュレント・クルチュが書いたコラムを翻訳したものです。