■「どんな支配者でもISよりまし」

 3児の母であるベファ・ヘシニ(Vefa Hesyni)さん(32)は、屋外で椅子に座ることなどあらゆることがISにとって「ハラム(罪)」とされたため、テルアビヤドでは一日中家の中で過ごしていたと話す。

 ヘシニさんは家族の中で唯一の稼ぎ手だったが、何らかの過ちを犯して罰を受けるのを恐れて外出しなくなったため、農場での仕事を辞めなければならなかった。

 黒いベールで顔を覆ったヘシニさんは、「ISが初めて私たちの町へやってきた際、『おまえたちの娘は8歳以上であれば結婚できる』『美容室は悪魔の所業だ』『女性は常に家の中にいるべきだ』などと触れ回った」と語った。

 また、ある戦闘員は、自分たちの家に何か月も通い続け、将来医師になりたいとの夢を抱く13歳の娘と結婚する許可を得ようとしていたという。

 さらに、ヘシニさんがトルコへと逃れるわずか1週間前には、近所の男性がイスラム法廷で裁判を受け、窃盗の罪で右手を斬り落とされた。その後路上に放置された男性の額には「カーフィル(不信心者)」と書かれていたという。

 ヘシニさんは「逃れられたこと、彼らが去ったことを神に感謝します」と話した。

 農業労働者のマヒル・クブリ(Mahir-el Kuburi)さん(54)によると、ISの戦闘員が昨年8月にテルアビヤドを初めて掌握した際、ISは拡声器を使って「カリフ統治領」を宣言。住民全員に対し、これからはイスラム国家の支配下に置かれ、違った生活を送ることになると通告した。

「生活とすら呼べないものだ」とクブリさんは話す。「最初のころは、ISを気に入る者もいた。ISは食事や水などの援助物資を無料で提供して歓心を買おうとしていたからだ。だが人々が彼らの残酷さを目の当たりにしてからは人気を失っていった」

 クブリさんによると、黒い服を着用したISの警察は、すぐに酒類を禁止し、姦通行為に対する石打ちによる死刑など、さまざまな罰を科し始めた。また、自分たちが定めた規則に皆を従わせるため、街路を常に巡回していたという。

 クブリさんは、「ダーイシュ(ISのアラビア語名の略称)が去って本当に幸せだ。どんな支配者であろうと彼らよりましだ」と語る。「シリアにできるだけ早く帰りたい。わがシリア、自由なるシリアに」(c)AFP/Dilay GUNDOGAN