【5月12日 AFP】ネパールで30年間火葬業を営んでいるカドガ・アディカリ(Khadga Adhikari)さん(55)は、心を悲しみで満たしながら、また運び込まれてきた幼い地震犠牲者の遺体の胸に、一握りの米粒と1枚の硬貨を置いた。

「私は自分で火葬してきた人たちの大半を覚えていない」「でも子どもの場合はすごく心が痛む。死ぬには早すぎる」

 4月25日にマグニチュード(M)7.8の地震が首都カトマンズ(Kathmandu)を襲って以来、アディカリさんと同僚たちは、次々と運ばれてくる遺体への対応に追われている。死者はヒンズー教の教えにのっとり、白い布で巻かれてまきの上で燃やされるが、一時はこのための木が足りなくなるのではないかと懸念されたほどだ。

 つかの間の休憩時にAFPの取材に応じたアディカリさんは、これまで長く死者と向き合ってきたものの、多くの遺族らの悲しみを目の当たりにして動揺したと語った。

 地震が起きた日の夜は、6歳の少年を含む3人の子どもを火葬した。同市の有名なパシュパティナート(Pashupatinath)寺院で葬儀が行われている間、家族はずっと泣き続けていたという。

 まきに火をつけるのは伝統的に死者の長男と決まっている。そのため両親が子どもを先に見送るというのは、とりわけ痛ましい。アディカリさんは、損傷した男の子の遺体を白い布でくるんだときのことを思い出し、肩を震わせた。「死ぬのは年老いた人々だと思いがちだ。災害によって幼い子どもが早死にすることは、本当に痛ましい」

 地震発生から夜が明けるまでに、彼はさらに2人の子どもと数人の大人の遺体を火葬した。人生で「最もつらい夜だった」と彼は振り返る。次から次と運ばれてくる遺体で、パシュパティナート寺院にある野外火葬場はまるでサウナ状態となり、アディカリさんもめまいがしたという。

「誰もが深い悲しみに包まれ、私は火葬を終えるたびに力が奪われていくような気がした。でも皆、火葬しなければいけない遺体を抱えていた。ほかにどこに行けばいいと?」