【4月28日 AFP】ネパール当局の救助隊が、自宅のがれきの中から既に動かなくなった14歳の娘を運び出すのを見て、ダヤラム・マハトさんは悲しみのあまり地面に崩れ落ちた。

「娘は私の全てだった。なにも悪いことはしていないのに」。重機や素手などあらゆる手段を使った懸命の救助活動の終わりを目の当たりにし、マハトさんはこう嘆いた。

 ネパールをマグニチュード(M)7.8の大地震が襲った25日昼、マハトさんは仕事に出ていたが、家族のほとんどは首都カトマンズ(Kathmandu)の住宅密集地区バラジュ(Balaju)にある自宅にいた。石造の家屋が崩れ落ちる中、一家はすぐに外に避難したが、居間にいた娘のプラサムサさんと、そのおばのチャンドラワティ・マハトさんがいないことに気付いた。

「あっという間だった。家が傾いて、崩れ落ちた」とマハトさんは語った。「全ての重みが1階部分にのしかかった。私たちは最初の2日間、彼女らの名前を叫び続けたが、がれきの中に入ったり、中の様子を確認したりするための隙間はなかった」

 マハトさんは娘の生存を信じ、救助隊に捜索を懇願したが、余震が続く中での作業は危険すぎるとして断られた。27日朝になってようやく周辺地域での捜索活動が始まったが、マハトさん宅に続く細い路地はがれきでふさがれており、家に到達するには重機による撤去作業を行う必要があった。

 家での作業を開始した救助隊はハンマーで少しずつ割ったれんがを慎重に手で取り除き、そうしてできた狭いトンネルに1人の救助隊員が潜り込んでいくと、集まっていた人たちは息をのんで見守った。

 その救助隊員は間もなく1階部分の内部に到達。最初に取り出されたのは書類や、家族写真を収めたアルバム、写真額などだった。マハトさんは写真額の割れていなかったガラスのほこりを払うと、「ほら、これが私の娘だ」と話した。「彼女の顔を見てくれ。なぜ私が助け出してやれなかったんだろう」

 マハトさんが、娘が勉学に励んでいたことについて話し始めると、救助隊員の一人が近づいてきて、マハトさんの耳に何かをささやいた。「娘が見つかった。死んでいた。死んでいたんだ。私はどうすればいいのか」(マハトさん)。他の家族がすぐにマハトさんを取り囲んだ。

 救助活動が始まってから2時間足らずで、プラサムサさんの遺体はがれきのなかから運び出された。親族の男性たちが早くも火葬の手はずについて話始める中、マハトさんは、恐れていた最悪の事態を受け止めようとしていた。「娘は死んでしまった」。マハトさんの頬に、涙が流れ落ちた。(c)AFP/Bhuvan BAGGA