■遂行するべき任務

 レオーノフ氏による12分間の宇宙遊泳は、旧ソ連が何年もの間、宇宙開発で米国に先んじようと必死に取り組んだ成果だった。ユーリ・ガガーリン(Yuri Gagarin)氏が初の有人宇宙飛行を成功させてから1年後の1962年、旧ソ連は「海で泳ぐように宇宙を遊泳する」という新たな目標を設定した。

 最終的に、当時宇宙開発を主導していたセルゲイ・コロリョフ(Sergei Korolyov)氏が、自らが求める宇宙飛行士の素質をレオーノフ氏に見いだし、歴史的ミッションに抜てきした。レオーノフ氏は「コローリョフ氏が私を選んだのは、航空機の操縦経験があり、その評価が高かった上、宇宙飛行士の中では珍しく、絵の心得があったのが理由だった」と笑いながら語った。レオーノフ氏は後に宇宙を描いた絵を発表し、人気を博すことになる。

 18か月間の集中訓練を経て、レオーノフ氏は人類初の宇宙遊泳を行う準備をようやく整えたものの、搭乗予定の宇宙船「ボスホート2号(Voskhod 2)」の方はそうはいかなかった。「宇宙船に射出システムがなかった」ため「修理まで9か月待つか、その宇宙船をこのまま使うかの選択を迫られ、我々は後者を選んだ」という。

 米航空宇宙局(NASA)が旧ソ連のすぐ後に続き、エド・ホワイト(Ed White)氏を起用して宇宙遊泳の準備を進めていたため、時間を無駄にすることはできなかった。「勇気の問題ではなかった。やり遂げなければならない任務だということだけを承知していた」とレオーノフ氏は述べた。