同じように、色やコントラストを調節することは、写真の内容を変えない限りにおいては認められている。

「私たちはいつも写真から何かを感じたいと思っている」と、パトリック・バズは言う。「ただ越えてはならない一線は、芸術性を求める気持ちがジャーナリズム精神を上回ってしまったときだ」

 その一線が正確にはどこにあるのかを見極めることは、非常に難しい。多くのグレーゾーンやジレンマがあるためだ。

「フラッシュをたいて撮影するのは許されるのに、設定を間違って暗過ぎる写真を撮ってしまったときにフォトショップで調節しようとするのはなぜダメなのか」と、AFPのテクニカル編集チームのアントナン・テュイリエ(Antonin Thuillier)は言う。「中心にあるものを際立たせるために、後処理で周辺を暗くするビネット効果をつけることも禁じられている。だが質の悪いレンズで撮ったら、オリジナルの写真で同じ効果が得られる」

 インスタグラム(Instagram)やヒップスタマティック(Hipstamatic)のようなアプリのおかげで、スマートフォンを持っている人たちは「レトロ」調などさまざまなフィルターを使って写真を撮ることが普通になった。これも、報道カメラマンがやっていいことといけないことのラインをさらにあやふやにする。

「どんな場面であれ、フィルムで撮っていた時代と異なり、デジタル写真はそれだけでコンピューターの産物だ」と、テュイリエは言う。「デジタルカメラはイメージをとらえるのではない。データを集め、それがアルゴリズム処理されて写真ができあがる。だから同じ写真でも使ったカメラによって見え方が違ってくる。カメラによって使われるアルゴリズムが違うからだ。例えば、人の肌の色はカメラのメーカーによって異なって写る」

「タングステンのようなソフトウエアは、技術的な不正しか見つけることができない」と、コジアン氏は付け加える。「だが不正はいつも後処理の段階で行われると決まっているわけではない。そのずっと前に、写真の意味を改ざんすることも可能だ」

 例えば、スキーの写真をフォトショップでトリミングしたり回転させたりして急勾配に見えるようにすることは不正であると、誰もが同意するだろう。だが写真を撮るときにカメラを傾けることによって、同じ効果を得ることができる。これはタングステンが見つけることはできないし、状況そのものが「やらせ」で撮られた場合も同じだ。

 コジアン氏は、「写真とは、画像と説明文の組み合わせだ」と語る。「この2つの要素が出会い、その写真が偽物なのか本物なのかが決められる」

 結局のところ、試されているのはジャーナリストのプロ意識と仕事の透明性なのだ。(c)AFP/Roland de Courson


この記事は、AFP記者ブログの編集者Roland de Coursonのコラムを翻訳したものです。

説明文の大切さの一例。これは、シリアのドゥマで、増え続ける民間人の犠牲者や、内戦終結に向けた国際社会の努力不足に抗議する地元活動家らによる抗議活動の一環として、オレンジ色の服を着ておりに入った子どもたち。この写真はネット上で写真だけが転送され続け、ISが子どもたちをおりに入れて火をつけているなどと間違って解釈された(2015年2月15日撮影)。(c)AFP/ABD DOUMANY