【12月25日 AFP】アフリカ中部で数十年前から死者を伴う短期的な流行を繰り返してきたエボラ出血熱は2014年、突如、世界規模の緊急事態を引き起こした。だが、この危機を医学史上のささいな出来事に追いやってしまおうとする科学者たちの奮闘により、流行は下り坂になりつつある。

 西アフリカの貧困地域で1人が感染したのを発端に、流行は瞬く間に都市部をのみこみ、数千人の命を奪った。恐怖の波は遠く離れた欧州や米国へも押し寄せた。

 手をこまねいていた世界保健機関(WHO)は8月になって、ようやく未承認薬などを使った試験的な治療の実施を許可。ワクチン開発が急がれる中で、既に10種類を超えるエボラ治療薬の有力候補が生まれている。

「(2015年の)3月末にかけて、こうした治療法の幾つかについて初期の臨床結果が明らかになるだろうと多くの人が期待をかけている」と、米国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)のマイケル・クリラ(Michael Kurilla)氏は述べた。「有効性が確認できれば、そのうち幾つかを承認することが可能になる。そうすれば、エボラ出血熱の治療薬や認可された治療法が確立される」

■無関心をやめた世界

 エボラ出血熱は1976年、旧ザイール(現在のコンゴ民主共和国)で初めて診断された。2012年までに24回の流行が起き、計1590人が死亡。症状はしばしば体の内外からの大量出血を伴い、最悪の流行時には感染者の90%が死亡した。

 しかし、後天性免疫不全症候群(エイズ、HIV/AIDS)やマラリアなどと比較すると死亡例が少なく、辺境の貧困地域でしか流行していなかったことから、治療薬の研究は限定的で、それも主に生物テロを恐れる米政府が行っていた程度だった。

 豪メルボルン大学(University of Melbourne)ドハティ感染免疫研究所(Doherty Institute for Infection and Immunity)のシャロン・ルウィン(Sharon Lewin)所長は、こう解説する。「民間セクターにとって、世界の最貧困地域でしか必要とされないだろう製品に投資し、商品化する誘因は、これまでほとんどなかった」

 ところが今年、年明けにギニアで始まった流行は西アフリカ諸国へと拡大し、さらにアフリカ以外で初の国内感染者を米国で2人、スペインで1人出した。犠牲者は6500人を超えた。各国政府が国境を閉鎖し旅客機の乗客の検査を行う中、エボラ出血熱に対する無関心は消え、製薬各社はこぞって治療法やワクチン、携行可能な早期診断キットなどを開発し始めた。